ヴァキト紙の記事が問題視される -行政裁判所を標的とした内容(Milliyet紙)
2006年05月18日付 Milliyet 紙
「通学路で頭を覆っている教師」に対して判決を下したため、襲撃を受けた行政裁判所第2部局の委員を2月13日付の記事で標的としたヴァキト紙は、委員たちの写真も公表していた。
ヴァキト紙は、昨日襲撃を受けた行政裁判所第2部局の委員を、「通学路で頭を覆っている教師は幼稚園の管理者にはなれない」という行政決定を承認したため、激しく告発した。委員の写真を2月13日付の新聞の大見出しで発表したこの新聞は、「彼らがまさにその委員たちだ」という見出しを使ったことで議論を生んだ。
学校への行き来にスカーフをかぶっている教師アイタッチ・クルンチに関わる判決を、「スキャンダル」と評価したこの新聞は、第2部局長ムスタファ・ビルデンと、他の委員であるムスタファ・ユジェル・オズビルギン、エンギン・クムルル、ネヴィン・ギョネンチの写真を公表した。判決に対して反対票を投じた唯一の委員であるアイフェル・オズデミルの写真は、他の4人とは分けて公表された。
この記事に対して行動に踏み出したバージュラル郡報道検察官アリ・チャクルは、同新聞の責任者たちについて、テロ対策法第6条により、「高等裁判所の委員をテロ組織の標的にした」という理由で独自の捜査を始めた。
ヴァキト紙の記者アリ・カラハサンオールは、5月2日付の記事で(自社への)訴訟を批判し、自分たちを次のように弁護した:
■ヴァキト紙からの反論
「行政裁判所から何人かの委員が告訴人となり、活動的な者たちが電話をして来たり、検事総長局や省庁から有力な者たちが間に入ってくれば、起訴状の形は、本来あるべき姿とはかなり違ったものになる。
最終的には最も重いというより単なる侮辱の訴訟が、テロ対策法第6条に違反などという訴訟になんと素早く変わったことか…。この問題に関心を寄せている親愛なるチチェキ法務大臣にまず質問をしよう。親愛なる法務大臣よ、聞きましたか?法務委員会長官よ、聞きましたか?AKPの議員たちよ、聞きましたか?親愛なる首相よ、聞きましたか?『教師が学校に行くときに頭を覆うのは、生徒たちに悪い見本になることから、指導者として任命することはできないというのは法に適している』という判決を下した行政裁判所の裁判官の名前を新聞に書いた途端、検察官が直ちに告発するのですよ:
『シャリーア(イスラム法典)主義者のテロ組織の標的にした!』というが、報道記事のどこに『テロ』、『標的にする』、『犯罪の扇動』などという言葉が出てくるというのだろうか、いったいどこにテロ『組織』があるのだろうか?」
■クシュラル教授につけられた×マーク
以前は「アキト」という名前で新聞を発行していた同社は、スカーフを付けた弁護士たちを弁護士会から追い出したギュムシュハーネ地区弁護士会会長アリ・ギュンダイも大見出しに載せたことがあった。ギュンダイ会長は、記事が載った数日後、1995年7月26日にイッゼト・クラッチによってオフィスで殺害された。
ヴァキト紙はさらに、1998年9月28日付の新聞で、タイイプ・エルドアン首相が「詩の裁判」(訳者注)で有罪になることを望んでいた最高裁判所第8部局の4人の委員の写真も公表した。「罪人たちはもはや人前には出られない」、「彼らは家に閉じこもった」という見出しの記事で、(有罪)承認を決断した委員は、「宗教的な行いをした」として告発された。
今回の事件に関しギュンダイ会長を殺害したクラッチは、行政裁判所に対する攻撃が、ここ数年間スカーフの女性に向けられた弾圧がもたらした結果の一つにすぎないと述べ、「これと似た事件が起きても驚くことはない」と話した。
「アキト紙」は、1999年5月13日付の新聞でも、アフメト・タネル・クシュラル教授の写真を載せ、写真上に×マークを付けて、「あつかましくて暴力的」「暴力的なケマリストは荒れて言うことを聞かない」という見出しを付けた。クシュラル教授は、この記事が載った5ヵ月後、1999年10月21日に家の前の車に仕掛けられた爆弾の爆発で命を落とした。
■委員達はヴァキト紙を告訴
行政裁判所の委員に対し、「彼らがまさにその委員たちだ」という大見出しをつけたヴァキト紙の責任者たちは、6月13日に裁判官の前に出頭する。先の決定を下し、昨日武器による攻撃を受けた行政裁判所の委員達は請願書を送り、同新聞社を告訴することが明らかになった。
バージュラル郡共和国検事総長局によって開かれた訴訟の論告では、ヴァキト紙が2006年2月13日に載せた、行政裁判所の「スカーフ」に関する決定に対する記事及び批評が、報道の境界を越えたとされた。ヴァキト紙のオーナーであるヌリ・アイコンと総責任者ハルン・アクソイが3年以下の懲役を求められている論告ではさらに、行政裁判所の委員達の写真にもスペースを割いた記事に、「スカーフは通りでさえ禁止であるという委員たち…彼らがまさにその委員たちだ」と大きな活字の見出しを使ったことで、裁判官達が保守反動的な者たちとシャリーア主義者の組織に標的としてさらされるに至ったことが陳述された。
「詩の裁判」(訳者注):エルドアン首相がイスタンブル市長であった1998年、遊説中に宗教的な詩を朗読して政教分離の原則に違反したとされた事件の裁判。
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( 翻訳者:佐藤 淳也 )
( 記事ID:2460 )