バクラヴァは誰のもの?―論争はどこまでも・・(Hurriyet紙)
2006年05月21日付 Hurriyet 紙
先週「バクラヴァは我々のものであり、今後とも我々のものであり続ける」というスローガンの応酬により、(トルコとギリシャの間で)論争が巻き起こった。EU諸国による「ヨーロッパの日」に際して配られた冊子の中で、バクラヴァがギリシャのお菓子として紹介されてからというもの、バクラヴァ職人やバクラヴァ愛好家はこの「ギリシャのごまかし」に警戒している。トルコ国旗の月と星で飾ったバクラヴァを作り、反撃に転じた。
ジェミル・チチェキ法務大臣でさえ、「バクラヴァのバの字も知らない人々がバクラヴァを横取りしようとしている」と話し、警察用語を使いながら抗議に加わった。ガズィアンテプ商工会議所のメフメト・アスラン会頭は「バクラヴァがギリシャのものだと言うことは、ゼウスがガズィアンテプ出身だと言うくらい馬鹿げたことだ」と話し、論議に神話の面から加わった。
数年前、(サッカーチームの)フェネルバフチェの外国人選手にインタビューした際、「トルコで一番驚いたことは何か」という質問に対する答えは、「練習中、グラウンドの隅でバクラヴァを持って待っているサポーター」であった。先週も同チームの別の外国人選手が似たようなことを話していた。「この国のことは何でも理解した。グラウンドの脇でバクラヴァをもって立っているサポーター以外はね」と。
このようにトルコ人と一体となったお菓子であるバクラヴァだが、「バクラヴァはトルコのものだ。これからもトルコのものであり続ける」という人々の叫びの中で、我々にもバクラヴァにまつわる論争とアイデンティティ・クライシスに陥ったバクラヴァについて書く役目が回ってきた。
資料によれば、これまであらゆる民族がバクラヴァを自分たちのものだと主張してきたらしい。古くはアッシリア人にまでさかのぼる。二枚の生地の間にドライフルーツをふりかけて挟み、オーブンで焼いたものがバクラヴァの起源であると言われている。バクラヴァが薄いユフカ(小麦粉で作られた薄いナンやクレープのようなもの)で作られ、中にクルミが入れられるようになったのは中央アジアが最初だとされている。
遊牧民族であったトルコ人は、定住していなかったためオーブンの代わりに馬に載せて簡単に運ぶことのできる薄い鉄板鍋を使い、パンの代わりにこの鍋で焼いたユフカを食べていた。この伝統は今でもアナトリアの多くの地方で続いている。中央アジアでよく採れるクルミが、この薄いユフカの間に入れられるようになって、クルミ入りバクラヴァの歴史が始まった。
バクラヴァは語源的には「バクラフ(baklahu)」という言葉から来ている。ガズィアンテプで最も有名なバクラヴァ屋「イマーム・チャーダシュ」の店主、ブルハン・チャーダシュ氏の話によると、「バクラフ」とはふろしきのような薄い小麦粉の生地を指すようだ。バクラヴァの生地を延ばすために使われる棒であるオクラヴァの名前も、中央アジアの「オクラフ」という言葉から来ているという。
バクラヴァの起源についての調査で最も有名な人物が、ロサンゼルス・タイムズ紙の料理担当記者、チャールズ・ペリー氏である。ペリー氏はバクラヴァ調査のために何度かトルコを訪れ、とりわけガズィアンテプに滞在。さらに紙面でも4ページにわたるバクラヴァ特集を組んだという。ペリー氏はまた、2001年にイタリアで行われた世界料理シンポジウムで、バクラヴァをトルコのお菓子として紹介したという。この記事の中でもバクラヴァにまつわる単語の語源が説明に使われており、薄いという意味をもつユフカという単語が中央アジアの「ユブカ(yubka)」から来ていることや、「カット」という単語がトルコ語であることが述べられている。バクラヴァという単語はトルコ語の音韻的な法則にも合っている。
バクラヴァがギリシャのものだと主張する一人、ギリシャ人のスペロス・ヴリョニス教授によれば、ビザンツ時代に愛好された「コプテ」または「コプトン」という名前のお菓子がバクラヴァに非常に似ているという。しかし、これに異を唱えるのが前述のペリー氏である。曰く「コプテは小麦粉の生地から作られるものではなく、シロップを砂糖でくるんだ菓子(ボンボン)である」。
イスタンブル生まれで現在アテネに住むギリシャ人、スラ・ボズィス氏は、著作で二枚の厚いユフカの間にすり鉢ですり潰したクルミにゴマやはちみつを混ぜたものを挟んで作られた、コプティという名のビザンツ時代のお菓子について触れている。だが、食文化に詳しいウミット・シナン・トプチュオール氏はこのお菓子について次のような疑問を投げかける。「ゴマのペーストでできたボンボンであるコプテが、ユフカを基にした小麦粉の生地で作られた菓子に変わったとしたら、のちに何重にも重ねられたユフカでできたバクラヴァになった可能性はある。しかしそれならば、ユフカがビザンツ時代の食文化にどうやって入ったのかも説明する必要がある」。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:湯澤 芙美 )
( 記事ID:2480 )