カタール首長、《アラビア・ペルシア湾》という語を使用 シャルグ紙
2006年05月03日付 Sharq 紙

2006年5月3日付シャルグ紙2面

【政治部】カタール首長の2日間にわたるイラン訪問は昨日、マフムード・アフマディーネジャード大統領の見送りによって終了した。

 シャイフ・ハマド・アール・サーニー首長は、月曜日にテヘラン入りした。国連安全保障理事会が数日以内にイランの核問題について決断を下す予定であり、この時期にカタールの首長がイランを訪問したことは、このこととの関連において理解されている。というのも、カタールはアラブ諸国の中で唯一、国連安全保障理事会のメンバーであり、イランが核問題に関して直面している現下の状況においては、カタール首長のイラン訪問と同国が示す立場は、イラン核問題の今後の流れに決定的な役割を果たしうるからである。

 ともあれ、シャイフ・ハマド・ビン・アール・サーニー首長は、イラン共和国大統領にマフムード・アフマディーネジャード氏が選出されて以降初めてのイラン訪問において、イランの政府指導者らと精力的に会談をこなした。カタール首長とイラン政府側との会談で話し合われた最も重要な議題は、イランの核問題であり、次いでイラク及びパレスチナ情勢であった。

 しかし、カタール首長のイラン訪問における最も大きな出来事は、この訪問も終わろうとしている時に起きたと言ってもいいだろう。すなわち、カタールの首長がペルシア湾と呼ぶべきところを、代わりに《アラビア・ペルシア湾》という語を用いる、という出来事が起きたのである。この皮肉めいた発言は、当然のことながら、アフマディーネジャード大統領の反発を呼んだ。

 ISNA(イラン学生通信)の報道によると、シャイフ・ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニー首長は、アフマディーネジャード大統領との共同記者会見に出席した後、「イラン・サッカーチームの成功を、《アラビア・ペルシア湾》地域のために祈る」旨、述べたのである。この発言に対して、アフマディーネジャード大統領は次のように返した。「学校に通っていた時に、《ペルシア湾》と習いませんでしたかな」。

 にもかかわらず、カタール首長は自身の立場を曲げず、次のように述べた。「当時は誤って、そう呼ばれていたのですよ」。

 同首長は続けて、「ともあれ、この湾は皆のものである。周辺の地域諸国が石油価格の限界の見えない高騰に鑑み、自らの国の発展と向上に向けて努力することを望む」と述べた。カタール首長はこうしたやり取りをした後、ドーハに向けてテヘランの地を発ったのであった。

〔後略〕

〔訳注:「ペルシア湾呼称問題」は、日韓の「日本海呼称問題」と同様、ペルシア湾岸地域の領土・覇権問題などとも絡み、以前から問題として取り沙汰されている。〕

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( 翻訳者:藤川 淳 )
( 記事ID:2366 )