“ギリシャ系キプロス国旗”デザインの北キプロス人、旗の変更と賠償求める(Hurriyet紙)
2006年06月17日付 Hurriyet 紙
北キプロス・トルコ共和国の画家、イスメト・ギュネイ氏は、まずキプロスのギリシャ系住民(キプロス共和国)の起こした不動産訴訟に、そしてルクセンブルクでのEUサミットで同国がトルコに対し拒否権行使をちらつかせたことに憤慨し、決意した。今日キプロス共和国国旗としてギリシャ系住民が自分達のものにしている旗は、1960年のキプロス独立時にはギリシャ系住民とトルコ系住民が共同で建てた国のものであった。ギュネイ氏は、旗の著作権使用料を支払わないギリシャ系住民に対し、慰謝料の請求と国旗の変更を求めて提訴し、必要ならば欧州人権裁判所(AIHM)にも訴え出るつもりだ。
トルコ系キプロス人の画家、イスメト・ギュネイ氏は、マカリオス大主教の要望で1960年にデザインした国旗、政府の紋章と切手が、著作権使用料の支払いなしに46年間ギリシャ系住民によって使われてきたことを明らかにし、(キプロス共和国の)タソス・パパドプロス政権を提訴した。ギリシャ系住民がトルコを幾度となく裁判に訴えることに憤慨した82歳のギュネイ氏は、「彼らは国旗と紋章、そして切手を変更するべきだ。必要ならAIHMにも行く」と語っている。
1960年に(ギリシャ系住民とトルコ系住民による)キプロス共和国が建国された際に行われたコンペで優勝し、今日ギリシャ系住民が使用している旗をデザインしたギュネイ氏は、ギリシャ系住民が様々な問題について絶えずトルコを圧迫しようとしていることや、トルコをAIHMに提訴したことに反発を示した。ギリシャ系政権がトルコに対し拒否権行使をちらつかせていることに憤慨した82歳の元教師であるギュネイ氏は、昨日キプロス共和国を訪れ、弁護士の友人に同国の指導者、タソス・パパドプロスとその政権を裁判に訴えるよう求めた。
ギュネイ氏は本紙に次のように話した。「1960年にキプロス共和国が建国された時、3年間は(ギリシャ系の)マカリオス大主教、そして次の3年間はトルコ系の指導者ファズル・キュチュク博士が国家の長になるはずだった。私はレフコシャ(ニコシア)にあるトルコ系住民のための高校で教師をしていた。キプロス共和国の国旗を決めるコンペが開かれ、私が優勝した。それからマカリオス自身が私に公共機関の公式文書や各組織で使われる紋章を描くよう依頼してきた。さらに、今でもギルシャ系住民が使っている3枚の切手も私がデザインした。1960年2月にマカリオスは毎年一定の使用料が私に支払われるよう指示した。金額ははっきりとは示されなかった。1963年にギリシャ系住民は政府を解体し、トルコ系住民を(国家の中枢から)遠ざけた。(ギリシャ系政権は)46年間、私の作品を国家の紋章として使っている。ギリシャ系の弁護士が政府に公式に要求した。10日以内に返答しなければならない。国旗、切手、紋章をはじめとして、何十もの私の作品のそれぞれについて46年分の著作権使用料と慰謝料を請求する。もし彼らが支払わないときは、AIHMに提訴する。国旗や紋章などの変更も要求するつもりだ」。
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( 翻訳者:林 奈緒子 )
( 記事ID:2745 )