イラン手工芸品展示会批評:イランの芸術をマネジメントする技 ハムシャフリー紙
2006年06月17日付 Hamshahri 紙
2006年6月17日付 ハムシャフリー紙4面
[アリーレザー・ソルターニー]
「芸術は、他でもない、イラン人のまさに身近なところにある」。この言葉はおそらく、イランにおける芸術の重要性、伝統、幅広さを語る最も雄弁で絶妙な言葉であり、世界においてもこの重要さが認められている。だが、イランにおける様々な芸術の伝統と幅広さについて考えるとき、その多様性とダイナミズムは様々な文化を持つ多数の諸民族に由来するにもかかわらず、今日、この事は色あせ忘れられている。このような状態をなによりも説明するのは、イラン各地の芸術(アート)の本質の継承・維持をマネジメントする技(アート)の欠如である。
先週、テヘラン国際展示場において、イランの芸術の最大の展示会の1つであるイラン手工芸品展示会が開催され、私は木曜日の午後にこの展示会を見る機会があった。木曜日の午後を人混みで混雑したこのような展示会に費やすことは気が進まなかったが、とにかく足を運んでみた。だが、展示場や各サロンを訪れると、最初の予想とは反対に、この展示会に訪れたテヘラン市民や様々な関係者が非常に少なく、展示会が精彩を欠いていることにショックを受けた。この困惑はクルドやバルーチ、アーザリー、イスファハーン、ブーシェフルなどのイラン各地の様々な独自の手工芸品を見ているうちにおさまったが、数時間後も、何故、手工芸品は一般のイラン人の生活からイランの伝統的で不変的な工芸として失われてしまったのか、また国内市場においても海外市場においても居場所を失ってしまったのかと考えずにはいられなかった。
この展示会の不況は、これまで国内総生産と国の就業の注目すべき割合を自らに割り当ててきた手工芸が隅に追いやられているという苦い真実を語っており、これは責任者らにとって警鐘である。
展示会責任者らの説明によれば、この展示会の不況はワールドカップ開催と重なったことと適切な広報がなかったことによる。これは受け入れられる説明だが、責任者らは事前にワールドカップ開催と重なるという状況について知らず、展示会の開催期間を変更して盛況を招くことができなかったのか、展示会開催の莫大な費用を納得の行くかたちで使えなかったのか、という疑問が沸く。
最低限予測できたこの展示会の役割は、海外からの旅行者や経済関係者の関心を引きつけて世界市場に参入することであったが、この重要な点も現実的に対応されなかった。とにかく世界各国の多くと同様に、このような展示会の開催は海外からの旅行者や経済関係者の関心を引く要因であるが、残念ながら、イラン手工芸品展示会はこの点でも効果がなかったといわなければならない。
イランの手工芸は国内及び海外の関心を失ったことによって、精彩を欠いた時代に突入し、この重要な点は国の経済及び文化に対して良くない影響を持つ。展示会の開催は単に義務として行われるのではなく、目的を持ち、国内及び海外の市場調査や日常生活における手工芸生産の復興を図って行われなければならない。イランの手工芸はイラン旅行の魅力であり、経済的側面や就業効果が無視されたとしても、特別な関心が向けられなければならない。この分野におけるマネージメント陣の首をすげ替えることは、その多数の問題のひとつさえ解決しない。イランの芸術(アート)は、まさにマネジメントの技(アート)を必要としているのだ。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:下山伴子 )
( 記事ID:2764 )