エルドアン首相、欧州評議会で発言「イスラムフォビアは人道に対する罪」(Radikal紙)
2006年06月29日付 Radikal 紙
「表現の自由」を主張する欧州評議会の議員議会で昨日(28日)、エルドアン首相は「表現の自由と信仰に対する敬意」をテーマとする会議のなかで「自由には限界がある」と意見を述べた。文明間同盟プロジェクト(注1)の共同代表として行ったスピーチでエルドアン首相は、「批判にはイエス、侮辱にはノー」と語った。そして西洋とイスラム世界の間に断層があるとも指摘し、アンチセミティズム(反ユダヤ主義)と同様にイスラムフォビア(イスラム恐怖症)も人道に対する罪と見なされるべきだと主張し、次のように続けた。
■表現の自由は絶対的な権利ではない
国際人権法によれば表現の自由も絶対的な権利ではなく、他者の権利、他者に対する敬意を守るといった制限が条件です。国連憲章ならびに欧州人権裁判所の解釈でも表現の自由は、テロ・暴力が扇動された場合、敵意や嫌悪感が誘発された場合、または宗教的価値が攻撃された場合には制限されています。このような制限は、何百年もの間、培われてきた伝統と経験から出来上がったものです。
■危険な分極化
風刺画問題で我々はつらい経験をしました。この経験は「表現の自由」と「信仰に対する尊重」の両者が間違って理解されたことから生じた矛盾を人々に気づかせてくれました。しかし実際はそれだけではなくもっと深刻な問題を反映しているのです。つまり国際社会が文化的・宗教的価値の根本のところでますます分極化に傾倒しているということです。
■過激な思想は有害
西洋とイスラム世界の間に断層ができてきました。過激な思想をもつものたちは現状を悪用しています。本来重要なことは妥協点をみつけることです。どの社会にも信仰の対象があります。これらを攻撃する権利は誰にもありません。自由にも限界があります。無限の自由は理論上あったとしても、実社会では歴史ととおして存在してこなかったのです。
■自由のために同盟を
民主主義とは複数の「自由」が同盟を結び共存することです。しかしここで我々の目前には、「自由」同士が対立する危険性がでてくるわけです。我々は「自由」が相互に対立することを防ぐ同盟をつくるべきなのです。
■イスラムフォビアも人道に対する罪
宗教的価値や文化的価値を攻撃する権利は、誰にもありません。アンチセミティズムが人道に対する罪とみなされているのであれば、イスラムフォビアも同様にみなされるべきなのです。
■同盟か、衝突か
我々が地球全体の平和を守る決意を固めているのであれば、文明間同盟を設立することが必要となってきます。反対に、グローバル・テロの温床を育てていくというのであれば、文明間衝突をはたで眺め続けましょう、と言っているのです。
エルドアン首相のあとで、デンマーク代表ルーン・ランド議員が発言を求め、次のように述べた。「表現の自由という範囲内で、アルメニア大虐殺、クルド人に対する虐殺、トルコによるキプロス占領について発言する権利が私にはあります。」これに対しエルドアン首相は次のように答えた。「批判と侮辱を混同してはなりません。大虐殺の主張は、科学的データに基づかなければ何の意味もありません。」
他の議員が「大虐殺を許可した神は間違ったことをしました。」と言うと、エルドアン首相は次のように答えた。「我々の宗教に大虐殺というものはありません。神が創造された人間たちを神のために愛するのです。」
注1 文明間同盟プロジェクトについては下記を参照。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News2005811_454.html
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( 翻訳者:住永千裕 )
( 記事ID:2851 )