イランで外交評議会が発足:ハーメネイー最高指導者、ハッラーズィーを議長に任命 シャルグ紙
2006年06月26日付 Sharq 紙
2006年6月26日付シャルグ紙1面
〜〜評議会のメンバーの大半が、ラフサンジャーニー及びハータミー政権時代の閣僚経験者〜〜
【政治部:アクバル・モンタジャビー】ハーメネイー最高指導者は、キャマール・ハッラーズィー博士を外交戦略評議会の議長に任命する旨の指令を発表した。ハッラーズィー氏に宛てた最高指導者令の中で、「イスラーム共和国の外交に関して、巨視的な観点から意思決定を行い、新たな可能性を探ることに寄与し、かつ同分野の傑出した専門家の意見を活用するためには、外交戦略評議会の設立が必要である」と述べられている。また最高指導者は、「アリー・アクバル・ヴェラーヤティー博士、アリー・シャムハーニー氏、モハンマド・シャリーアトマダーリー氏、モハンマド・ホセイン・ターロミー氏の各氏を、5年間を任期として同評議会の評議員に任じ、貴殿を同評議会の議長に任命することが適当である」と強調している。
外交戦略評議会のような組織は、イラン・イスラーム共和国においてこれまで作られたことがなかった。国際関係に関して同種の役割を担う評議会は、主に外務省や国家安全保障最高評議会に設置されてきた。また、巨視的な観点からの政策決定に際しては、ときに公益判別評議会が担ったり、また国会などの選挙に選ばれた機関や臨時に設置された組織などが、意思決定を行うこともあった。以上のような理由から、このような評議会の存在がこれまでもつねに必要とされてきたのである。
他方、セイエド・モハンマド・ハータミー政権の後半に、核問題がイラン外交政策の第一の議題となって以降、国家安全保障最高評議会が同問題の舵取りに主要な役割を担い、ハーメネイー最高指導者及びセイエド・モハンマド・ハータミー大統領の要請により、同評議会の書記(ハサン・ロウハーニー)が、イラン核問題を任されるようになった。
実際のところ、国家安全保障最高評議会の演ずるべき役割に関して、当時のセイエド・モハンマド・ハータミー大統領が思い描いていたモデルは、アメリカの国家安全保障会議とさほど変わらぬものであった。当時、そこではコンドリーザ・ライスが大統領の上級補佐官として、アメリカのマクロ政策に関して、意思決定を行っていた。
しかしイランでは、国家安全保障最高評議会の役割のほとんどが、徐々に核問題に集中していくようになっていった。ここに、外交戦略評議会が占めるべき《隙間》が感取されたのであった。国家安全保障最高評議会は可能な限りのリソースを利用することができる立場にはあった。しかし、マクロな意思決定を補助するべき外交戦略評議会という組織の必要性もまた、つねに存在していたのである。
最高指導者により同評議会議長に選ばれたキャマール・ハッラーズィー博士は、それ以前、8年間にわたり、改革政権において外務大臣を務めてきた。教育学を学んだ同氏は、イスラーム共和国通信社〔イラン国営通信=IRNA〕の責任者を数年間務め、その後イラン国連大使へと転身した。ハッラーズィー氏は欧米の政府当局者には、よく知られた外交官である。同氏はイランがデタント政策を追求した8年間、多くの国の外相と会談し、一部の国との外交関係の改善に成功した。
アリー・アクバル・ヴェラーヤティー博士は、最高指導者の外交政策顧問である。同氏は16年近くにわたり外務省を率いる地位にとどまり、イラン・イラク戦争の時期には国際舞台におけるイラン代表として活躍した。ヴェラーヤティー氏は二度、大統領選挙に中道派の立候補者として、自らの姿を現している。75年〔1997年〕に同氏は、大統領選挙の候補者となることを決意したが、しかし第五議会の議長であったアリー・アクバル・ナーテグヌーリー師〔*〕の選挙戦出馬により、断念した。また、〔2005年の〕第9期大統領選挙でも、同氏は接戦の大統領選挙に出馬することを決意したが、このときも彼が敬意を抱くハーシェミー=ラフサンジャーニー師が出馬したため、自らの出馬を取りやめている。
〔*註:第7期大統領選挙で最有力候補だった保守派の人物。選挙の結果、改革開放を訴えるハータミー師が地滑り的勝利を収め、世界を驚かせた〕
他方、ヴェラーヤティー氏はこれまで、外相を肩代わりするような役割も演じている。しばらく前のことだが、サウジアラビア国王にハーメネイー最高指導者の親書を手交すべく、同国を訪問したことがあったし、アーヤトッラー・ハーメネイーが世界の首脳と会談する際には、ほとんどの場面で、その場に同席している。
さて、外交戦略評議会のもう一人の委員は、アリー・シャムハーニー氏だ。同氏は革命防衛隊で経験を積み、ハータミー政権下で8年間にわたり国防大臣を務めてきた。シャムハーニー氏の実績としては、ミサイル開発プロジェクト、特にシャハーブ・ミサイルの開発に成功したことが挙げられる。
モハンマド・シャリーアトマダーリー氏も同評議会の委員の一人である。同氏は8年間、ハータミー政権の商業大臣を務めた人物で、歴史的に敏感な時期に、大統領の特別代表を首尾よく果たしたことがある。
最初の主要なメンバーをこのような布陣にして発足した外交戦略評議会は、アメリカの外交評議会を連想させるものである。同評議会も、サミュエル・ハンチントンやフランシス・フクヤマ、ブレジンスキー、ジェムズ・ウィルソン、オルブライト女史など、主に民主党系の勢力が力を握っている。〔中略〕アメリカ外交評議会の目的も、アメリカ国家に対してマクロな戦略を採択することにある。彼らは主に自らの意見を米大統領に提出するという役割を担っており、世界レベルの顧問団を擁している。イランで外交戦略評議会が設立されたことは、極めて重要な出来事であり、今後その影響を看取することができるだろう。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:2859 )