ユーセフィー・エシュケヴァリー、シャリーアティーを語る シャルグ紙
2006年07月10日付 Sharq 紙

2006年7月10日付シャルグ紙4面

【政治部】ロンドン大学生イスラーム協会(トウヒード協会)はティール月10日(土曜日)〔2006年7月1日〕、アリー・シャリーアティー博士第29回忌の記念行事を催した。その中で、《アリー・シャリーアティー博士文化研究所》の創設者の一人であるハサン・ユーセフィー・エシュケヴァリー師は、「われわれとシャリーアティーの遺産」と題された講演を行った。

 エシュケヴァリー師は講演を始めるにあたり、次の二点を指摘した。「『われわれ』ということばで意味しているのは、シャリーアティーの思想に関心を持ち、その考え方を支持する者たちのことである。そして、『遺産』ということばで意味しているのは、全35巻、ページ数にして約1万5千ページに及ぶ著作の中で書き記されたシャリーアティーの思想的遺産のことである」。

 「シャリーアティーの思想がイランおよび世界において、作品として世に出されてから今日で約40年が経つ。しかし、シャリーアティーの遺産から何が残されるべきなのだろうか?換言すれば彼の思想や教えの中のどの部分が有用かつ信頼に足るものとして依拠可能なのか、そしてどの部分が信頼に足らず、有効性のないものとして捨て去るべきなのだろうか?」。これは「シャリーアティー主義者」としてのユーセフィー・エシュケヴァリーが、自ら答えを出したいと考えている問いに他ならない。

 この問いに基づき、彼はまずここ30年間のイラン及び世界の変化について、簡単に分析を行い、その上でシャリーアティーの遺産を次の4つのグループに分ける。すなわち「1.誤っており、批判・拒否すべき意見。2.正しいか、誤っているかにかかわらず、有効性を失った意見。3.内容的には正しいが、再検討したり、修正を施したり、深めたりする必要の認められないもの。4.信頼に足り、再興すべき教え」。

 エシュケヴァリーはまず第一のケースについて、次のように述べている。

 「私が考えるところ、シャリーアティーの思想において批判すべきものの一つとして、『ウンマとイマーマ(イスラーム共同体とその指導者性)』他で示された、宗教と統治を一致したものであると捉える考え方がある。シャリーアティーはあるところで、次のように言っている。『預言者性と政治を二つに分けて考える考え方は、イスラームには存在しない。これはイスラームの特徴の一つである』(全集第26巻、p.584.)。彼の考え方によれば、預言者の『預言者性』と『統治』はいずれも、〔イスラームの〕特質であり、宗教的基礎である。それゆえ全集第22巻では、トインビーとの対話の中で、彼は預言者と正統カリフの政府こそ『イスラーム政府』であるとの見方を示したのである」。

 「しかし」、とエシュケヴァリーは言う。「私の考えでは、反対に、預言者の《預言者》としての権威と、預言者の《統治》にかかわる権威は、二つの別々の範疇に属するものである。前者は神的なもの、天上世界に属するものであり、後者は地上世界に属するもの、社会的必要性や市民の意見・願望から生まれるものである」。〔*訳注:エシュケヴァリーのこの考え方は、ホメイニーが『ヴェラーヤテ・ファキーフ』(法学者の監督)において、神的創造界に属する宗教的権威と人間界に属する政治的権威とを弁別し、「公正なる法学者」には「統治の義務」から生ずるところの政治的権威がイマームより委譲されていると論じたことを換骨奪胎するものである〕。

 ユーセフィー・エシュケヴァリーはしかし、シャリーアティーを次のように擁護することを忘れない。「一部にはシャリーアティーの政治的立場に対して批判する向きもあるが、しかしシャリーアティーは民主主義と自由の価値を信じていたのであって、このような自由を希求する民主主義者を、『民主主義に反対した』などと評することはまったく適当ではない。彼は全集第22巻において、宗教的統治に関する自らの見解を明確に説明しており、『ウンマとイマーマ』の最後において、実際次のようにはっきりと述べている。『シュウーラー(評議)、イジュマー(合意)、バイア(臣従の誓い)とは民主主義を意味し、イスラームの基本原理の一つである。そのことはクルアーンにおいて明確に述べられている。民主主義は社会を導くための普遍的かつ一般的な形態である』(pp.631, 632.)。どうして、彼を民主主義と自由と人権の反対者、敵とみなすことなどできようか」。

 彼はさらに、パリで最近アクバル・ギャンジーが行った発言に触れ、次のように述べた。「われわれの友人であるギャンジー氏は、多くの識者たちの前で次のように大胆に述べている。『シャリーアティーは、「私が企図しているのは、民主主義と自由の抹殺である。私は人々を上から管理し、全ての人を永遠に洗脳するような国家を求めている」などと語っている』。このような主張は、まったくの虚偽であり、中傷以外の何ものでもない。なぜなら、シャリーアティーはそのようなことをまったく述べていないからだ」。

〔後略〕

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:2990 )