新聞の人生相談で有名だった女性記者ギュズィンさん、亡くなる(Milliyet紙)
2006年07月18日付 Milliyet 紙

社会の全ての地位や階層の人々が、自分宛に手紙に書いて送ってきた悩みに答え、「ギュズィン姉さん」の名前で一つのブランドを作り上げたギュズィン・サヤルさん(84)が、長期間の闘病生活の末に亡くなった。サヤルさんは(ミッリイェトなど主要な新聞社の集まる地区であった)バーブ・アーリーの最初の女性記者の1人であった。

サヤルさんは1922年イスタンブル生まれ。ノートルダム・デ・シオン高校を卒業した。3歳のとき父親を亡くしていたサヤルさんの新聞記者としてのキャリアは、母親の親族の重荷にならないようにと、イェニ・イスタンブル紙の会計管理人として就職したことから始まった。同紙で翻訳記事を書いたサヤルさんは、のちの「ギュズィン姉さん」へと続く最初の一歩を踏み出し、さまざまな新聞で「悩みを言いましょう」や「言わせてもらおう」という名前のコーナーを担当し始めた。

■人生相談のコーナーを27年間担当

ハヴァディス紙、ソン・ハヴァディス紙、アクシャム紙、イスタンブル・エクスプレス紙、エクスプレス紙、ハベル紙、ギュナイドゥン紙、そしてヒュッリイェト紙で働いたサヤルさんは、1971年にサクランバチ紙で初めて「ギュズィン姉さん」のコーナーを掲載した。体調を崩したため、サヤルさんのコーナーは1998年以降、娘のフェイザ・アルガンさんが書いていた。サヤルさんには「政治の歯車」と「菩提樹の木の下で」という2冊の著書もある。

■葬儀は今日

昨夜、明け方に息を引き取ったサヤルさんの葬儀は、今日の昼の礼拝の時間にエレンキョイ・ガリップ・パシャ・モスクで行われる。礼拝の後、カラジャアフメトにある親族の共同墓地に埋葬される。

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( 翻訳者:新井仁美 )
( 記事ID:3022 )