イスラーム服のファッション・ショーが開催 シャルグ紙
2006年07月20日付 Sharq 紙
2006年7月20日付シャルグ紙1面
【社会部:サマーネ・ガドルハーン】政府は初めてのイスラーム服の展示会を、三機関の協力のもと立ち上げた。「イスラーム服」をテーマにした服の展示会が1週間のうちに二つ、一都市において開かれたことは、女性の服装をめぐる第9期政権の今後の方向性を、これまで以上に明確にするものだ。
互いに類似した二つの展示会のうち、一つは「レイハーネ」と銘打って、ティール月23日〔7月14日〕から開催された。もう一つは「我が国の女性たち」祭と題して、ティール月25日〔7月16日〕から、治安維持軍、テヘラン州、及び内務省によって開催された。前者はモサッラー〔集団礼拝広場〕で、後者は《青少年思想教育協会》の大広間を会場にして、女性週間に合わせて開かれた。
テヘランのモサッラーで開かれた展示会には、あまり人々の関心を引くようなものはなかったが、もう一つの展示会には多種多様な女性用の服が展示されていた。イスラーム服の展示や「ライヴ・ショー」は、「我が国の女性たち」祭の一部分にすぎなかったが、〔そこで展示されたり、ショーで披露された服に〕用いられていた色柄をみる限り、社会の一般の人々が好むものを積極的に認めるものとなっていた。
対して、「レイハーネ」展示会では、暗い色柄のチャードルやコート類の展示が主で、「イスラーム・ファッション」の確立という政府のスローガンを実現するには程遠いものであった。そればかりか、完全にイスラーム的な服を望む人々に対して、新たなデザインを確立することにも失敗したと言わざるを得ない。
〔中略〕
「我が国の女性たち」祭は、「ライヴ・ショー」でカラフルな色を披露することで、強く自らをアピールしていた。「果たしてこのような服装が社会で強制化されるのだろうか、それとも政府の活動の一部をアピールするためだけのものなのだろうか」との多くの人々の疑問に対し、「我が国の女性たち」祭実行責任者のガンドフォルーシュ氏は、シャルグ紙に次のように語った。「われわれは何かを定めたりするような立場にいるわけではありません。この展示会は、単に新しい空間を作り出すこと、そしてオリジナルのイスラーム服を作る女性たちの能力を示すことを意図しているにすぎません」。
同氏はまた、「これらの服は果たして、海外の種類豊富な最新のデザインの服に取って代わるだけの力はあるといえるのか」との本紙の質問に対し、「この展示会は、新たな場でイラン人デザイナーの創造力を示すために用意されたものです。この種の場は、これまで看過されてきました」と述べた。
しかし展示された服を一瞥したところ、一部裾が長すぎるなど使用に堪えないと思われるものも見受けられた。このことについて、ガンドフォルーシュ氏は次のように説明した。「これらの服は、社会で用いられることを目的に、有能なデザイナーによってデザインされたものです。われわれは、女性たちが社会で実際に使用できる服をデザインしようと、新聞・雑誌各誌において訴えてきたのです」。
また、テヘラン州知事女性問題顧問は、「新たにデザインされた服で用いられた色柄は、ほとんどが社会で利用できないものばかりではないか、これらの色柄の利用を実際上保証するものは何か」との質問に対し、次のように答えた。「われわれは、デザインの美しさ、色柄の心地よさ、デザインの斬新さ、美しくまた正確な裁縫を、服のデザインに求めてきました。これらの服には、街や社会で広く利用されるよう、イラン的、イスラーム的な文化的要素もきちんと考慮されております。それゆえ、このようなデザインは利用に供しうるものだと考えています」。
ガンドフォルーシュ氏も本紙に対し、服のデザインに特別な制限が考えられているわけではなく、ただイスラーム的な許容範囲や基準に考慮し、格別にけばけばしい色柄は使用を控えるなどのことが考えられているにすぎない、と語る。テヘラン州知事顧問は、社会的に通俗的な服〔を提供すること〕は、聖法の基準にも合致しないとし、これらの服をデザインする際に、このような過ちを二度と繰り返さないことが重要だと強調した上で、次のように語った。「今日社会に普及する通俗的な服の問題の一つとして、『性的な』魅力の喚起という問題があります。この展示会は、この問題を美へと転換することを目的にして開かれました。われわれは、〔通俗的な服の〕タイトさや短さ〔*〕をイスラーム的な美へと換えるべく、われわれは努力してきました。これらの〔通俗的な〕服には、美が欠けているのです」。
〔*いずれも、体のラインや肌の一部を露出してしまうため、非イスラーム的な服装であるとされるが、テヘランなどの大都市では近年、特に夏になると、この種の服装を着た若い女性が少なくない〕
〔中略〕
「我が国の女性たち」祭では、約100着の服がライヴ・ショーに参加し、そのうち約20着がチャードル、残りが「社会服」に属するものであった。イスラーム服ライヴ・ショー開会式への国内報道各社の招待は、あまり大々的には行われなかった。宣伝が行き届かなかったことは、この展示会があまり反響を呼ばなかった原因の一つともなっている。ガンドフォルーシュ氏はこのことに関して、次のように述べている。「海外の報道関係者らに、このような展示会が開かれることを通知したとき、彼らはそれを非常に歓迎してくれました。そのため、国外からは10の報道機関、国内からは4の報道機関の参加を招待しました。彼らがこのことをどう見るのか、非常に重要だからです」。しかし、イスラーム服のライヴ・ショーでは、〔モデルたちは〕完璧に服を着ていたにもかかわらず、ショーの観覧を許されたのは女性だけであった。
〔後略〕
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( 翻訳者:斎藤正道 )
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