あるイスタンブル生まれのギリシャ系(ルム)女性の物語―私は、イスタンブルっ子(Milliyet紙)
2006年07月02日付 Milliyet 紙

 トルコから移住したあるギリシャ系家族の二人娘のうちの一人、マリア・バッハは、生まれた土地で再び生活を送るため、昨年トルコ国籍を取得した。バッハは、「イスタンブルを離れてから一時も、イスタンブル以外の場所を故郷だと思うことはありませんでした。出身を聞かれると『イスタンブル出身です』と言っています。私は、トルコ人でもあるし、ギリシャ人でもあります」と話した。バッハは、彼女の生い立ちを次のように語った。「母はギョクチェアダ島出身です。イスタンブルのタルラバシュで生まれて、子供時代と思春期初期をジハンギルで過ごしました。父はガラタでフランス-トルコ書店の共同経営者をしていました。小学校は教会学校でした。そのあとイタリア系の学校に入りました。私の人生で最も素晴らしい日々でした。ある日、父が来て『時がきた、ギリシャへ行こう』と言いました。それは1970年、14歳の時のことでした。1日で荷造りをして去りました。父も母も、どうして移住したのか、死ぬまで口を開くことはありませんでした」

■ 「イスタンブルに住むつもりです」
 アテネで非常に辛い日々を過ごしたと説明するバッハは、「とても恋しかったし、たくさん泣きました。父は存命中、私がトルコ人と結婚することを恐れていました。結婚なんてしませんでしたけれど。運命と言うものですね」と語った。
 「ギョクチェアダ島には、私たちの大きな家と大きな庭、400㎡の畑が二つあります。これらは家族のものですが、国庫に入りました。昨年ギリシャ系の弁護士が、畑と家を返還するよう訴訟を起こしました。庭は取り戻せましたが、他はどうなるのかわかりません。」
 現在、ドイツに住んでいるというバッハは、「いつの日かトルコに戻ることだけを夢みています。今年、いくつかの大学に『ギリシャ語の授業ができます』と応募しました。イスタンブルに住むつもりです」と話した。


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( 翻訳者:井上さやか )
( 記事ID:2882 )