スィヴァスでのマドゥマク・ホテル焼き討ち事件から13年(Milliyet紙)
2006年07月03日付 Milliyet 紙
1993年7月2日、スィヴァスのマドゥマク・ホテルで焼き殺された35名の文化人を、13年目の今日、人々は悲しみのなかで追悼した。赤色と白色のカーネーションを手にホテルの前に集った何千人もの人々が、共和国史における最も暗い数ページの一枚を改めて振り返り、この大虐殺を思い起こした。
厳重な警戒の中で行われた最初の追悼式は、共和人民党(CHP)のスィヴァス県連が執り行った。スィヴァス県選出のヌレッティン・ソゼン議員は、マドゥマク・ホテルの前に花輪を供え、100人ほどのCHP党員を代表してスピーチをし、次のように語った。「このような事件を語り継ぎましょう。思想や信条のために二度と人が焼かれることのないように。」
またソゼン議員は、文化人35名の虐殺の責任をスィヴァス市民に問うことは出来ないと語り、次のように続けた。「共和国の基礎が築かれたスィヴァスに暗い影を落とすために、この地が選ばれたのです。反共和国主義者は、この虐殺行為をとりわけ共和国の基礎が築かれたこの地で行う計画をしたのです。」
■犠牲者の名前が読み上げられた
共和人民党関係者に続き、公務員組合連盟(KESK),人民の家(ハルクエヴレリ)、トルコ労働党(EMEP)、自由連帯党(ÖDP),退職者組合、ハジ・ベクタシュ・ヴェリ・アナトリア文化協会が行った追悼式には、およそ5000人が参加した。メヴラーナ通りに集まった一団は、スローガンを叫びながら警察の警戒線をはみだすことなく共和国広場まで行進した。道すがら一部の市民とデモ行進者の間で一瞬起こった緊張は、大きくなることなく鎮められた。一方、通りに面した家々のバルコニーにはトルコ国旗もみられた。マドゥマク・ホテルの前に来たデモ行進の一団は、事件で命を落とした犠牲者の名前をひとりひとり読み上げた後に、「彼らは生きている。」と叫んだ。
■マドゥマク・ホテルを記念館に
ピール・スルタン・アブダル文化協会の代表カズム・ゲンチ氏はスピーチのなかで次のように述べた。「マドゥマクの暗い廊下でいつまでも待っていた犠牲者達、希望が尽きていく様子、そして外から聞こえる抗議の声、投げつけられホテルのガラス窓を割った石、全てを飲み込み焼き尽くしたあの火事の瞬間を、そして次第に声をだせなくなっていた命を我々は忘れません。スィヴァスを忘れることは裏切りです。我が国で再び虐殺が起こらないように、マドゥマク・ホテルを公立の記念館にすることを我々は望みます。スィヴァスでの虐殺の背後に潜む力と首謀者を我々は既につきとめています。」
■「バイカルはどこに?」
ヨーロッパ・アレヴィー協会連盟の総代表トゥルグト・オケル氏はスピーチのなかで、昨日(2日)、クルクプナル・オイルレスリング観戦にエディルネへ行った共和人民党のデニズ・バイカル党首を批判し、次のように語った。「今日、追悼式に参列せず、オイルレスリング観戦を選んだ者は、今後二度とアレヴィー社会からの協力を得ることはできないだろう。なぜならこのような態度は、我々の悲しみに対して無礼である。」また、オケル氏はスィヴァス裁判が再び審議される必要があるとも付け加えた。
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( 翻訳者:堀ノ内夏子 )
( 記事ID:2894 )