無残―イスラエルのバールベク急襲で子ども7名を含む19人の民間人死亡(Radikal紙)
2006年08月03日付 Radikal 紙
イスラエルがバールベクを攻撃した結果、7人の子供を含む19人の民間人が殺された。ほぼ3組の家族が失われた。ヘリコプターから逃れたベドウィンの母親と5人の子供は一人一人射殺された。
バールベク‐レバノン戦争でヒズブッラーを威嚇するため、イスラエルが初めて北東へ特殊部隊を派遣した代償は、バールベックの7人の子供を含む少なくとも19人の民間人の命で払われた。ベカー高原の、この有名な古代都市で、朝の光は破壊と死の光景を照らし出した。
■ベドウィンの家族が一人一人襲われた
特殊部隊をヒズブッラーの病院の上に降下させたヘリコプターが、ゲリラたちとの戦闘が終わるのを待つため、近くの小麦畑に降りたことが、ここにいたベドウィンの一家の最期をまねいた。ある目撃証言は、イスラエルのヘリコプターが下りたことで、恐怖に陥ったベドウィンの家族がテントから飛び出して逃げ始めたところ、イスラエル兵たちが家族を一人一人射殺していったと語った。
他のテントにいた親類や友人たちは外に出なかったため生き延びたが、40歳の母親マハ・シャバーン・イッサと3歳から17歳までの5人の息子の遺体は血まみれで畑に散らばっていた。
蜂の巣となった体は頭部と胸部を最も多く打ち抜かれていた。父と他の2人の子供は重傷を負って病院に運ばれた。
■息子の脚を見て…
激しい砲撃も、病院から1kmの距離にあるジャマーリーヤ村で、村長のフサイン・ジャマールッディーンの息子、兄弟、そして他の親族たちに死をもたらした。夜明けと作戦の終了が近づいていた最中、ある友人と電話で話していたアヴァド・ジャマールッディーンは、ヘリコプターと砲撃が自分からは遠いところにあると説明して、「私たちは安全だ」といっていたところ突然電話が切れた。
朝になると、近親者たちは走って家に向かった。カナで建物の瓦礫の下に残されたものたちのことを思い出して、外へ飛び出したジャマールッディーンの18歳になる息子、兄弟のアヴァド、4人の甥、もう一人の親戚のばらばらになった遺体が庭に散乱していた。
村長は、ショベルで遺体を集めたとき、神経を高ぶらせた:「ほらこれが息子の脚だ。スポーツマンだった、テコンドーをやっていた」
ばらばらの遺体の前で泣いていた女性の一人は、外国の新聞記者たちに、「イスラエルは非道だ。来て、ブッシュの罪の写真を撮って」と叫んだ。
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( 翻訳者:佐藤淳也 )
( 記事ID:3181 )