Türker Alkanコラム:アメリカの新造語「イスラモファシズム」(Radikal紙)
2006年08月05日付 Radikal 紙
アメリカ人には造語の才がある。今また新たに彼らが発明した言葉が議論を呼んでいる。
それは「イスラモファシズム」という言葉である。この用語でなにを言い表したいのかは定かではない。おそらくは自分たちもよくわかっていないだろう。この言葉がアメリカで出現するや否や、我々の間でも議論が巻き起こっている。
一般的な反応は否定的なものだ。すなわち、「ムスリムはファシストになりえない!」
まずは思い出してほしい。アメリカが似たような名前をつけるのは最初のことではない。前にも戦争相手に似たような名前をつけたことがある。こうしたことは、CIAの心理戦部局の仕事だと言われている。たとえばベトナム戦争ではアメリカに歯向かった者たちを「ベトコン」と呼んでいたが、この呼び名は長期にわたる研究や議論の結果、決定されたものだった。イスラム世界においてアメリカに歯向かう人々を「イスラモファシスト」と呼び始めたのも偶然の産物ではないだろう。この呼び名は、長期的なある計算に基づいて中東を再度定義づけようとする意図を示すような、懸念を与える呼び名だ。
「イスラモファシスト」という言葉は、10億人以上の信徒や庇護者を持つ巨大で広く普及している宗教を理解する際に、「ファシズム」という粗暴で攻撃的なイデオロギーによって性格づけてしまうという危険を含んでいる。この用語を広めようとする意図は違っていても、用語が広まった結果、そうした性格づけは起こりうる。こんなことをアメリカが望んでいるとは思わない。さしたる理由もなく、これほど大きな敵を作りたいとは思わないだろう。
イスラム世界に民主主義があまり普及していないとしても、トルコのような自由民主主義国家も存在する。「イスラモファシスト」という用語がこのような国までも包含する形で使われることは、誰にとっても利益にはならない。不十分で誤った解決法を導いてしまうだけである。
それでは、イスラムの名を借りてファシスト的な政治を行う国や体制はないのかといえば、もちろんある。タリバン体制下のアフガニスタンを思い出してほしい。男性はひげを生やすことが義務とされ、女性はブルカに縛られて、一人で通りに出ることも、女性に読み書きを教えることも禁止されていたアフガニスタンのことを。
より最近の例としては、ソマリアがある。数ヶ月前、首都のモガディシオを制圧した狂信者たちは、「1日5回の礼拝を行わなかった者は死刑」と定めた。また、結婚披露宴の会場につめかけ、音楽を演奏したり聴いたりしていた人々を殴り、「悪魔の楽器」を壊した。会場のオーナーは「午前中には許可を出しておいて、午後には乗り込んできて式を解散させてしまった」と困惑した。ドイツで開催されたワールドカップのサッカー観戦も禁止された。観戦したい人々がデモをしようと集まると、発砲して2人のデモ隊を殺害した。11人の若者が「イスラムから逸脱した行動をとった」ために40回の鞭打ち刑に処された。
ガムを噛むことまでも禁じたタリバン政権期のアフガニスタンを「ファシスト」と呼ばずして何を呼ぶのだろうか。
宗教をイデオロギーに矮小化したり、いずれの宗教に限らず、国をある宗教の戒律に則って統治しようとしたりすれば、結局は独裁的な体制になってしまうのである。この体制を「ファシズム」と呼ぶかどうかは、用語の定義の問題として論じることはできるだろう。しかし独裁的性質は明確に存在する。
イスラム諸国の中に独裁体制の国家があることは否定できない事実である。しかしそこから一歩進んでイスラム世界一般を「ファシスト」という断罪を含む言葉で表そうとするのは、いったい何に貢献することになるのか、理解しがたい。
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( 翻訳者:宇野陽子 )
( 記事ID:3215 )