9.11同時多発テロ事件の余波 (Yeni Safak紙)
2006年09月11日付 Yeni Safak 紙
(ブルサ県)ゲムリキ出身で労働者のアフメト・タシュさんは、アメリカで働いていた当時に発生した9.11事件後、拘束され、3ヶ月半もの間起訴もなしに刑務所に留置されたのち国外追放処分を受け、現在差し押さえられた財産の返還をアメリカ連邦政府に求めている。
世界貿易センターのツインタワーに攻撃が行われた時、ニュージャージー州に住んでいたアフメト・タシュさんは、その日を境にアメリカでは、イスラム教徒にとってすべてのことが正反対に転じたと明かしながら、次のように話した。
「攻撃の時、私はあるアメリカ人の大学教授の家で働いていた。攻撃の様子を教授と一緒にテレビで見た。その日から、イスラム教徒にとって苦渋の日々がはじまった。アフメトとかメフメト、ムスタファ、アブドゥッラーというような(すぐにイスラム教徒とわかる)名前の人物は、警察にとっては疑うに充分とされていた。ある日、2人の友人と一緒にアトランティックシティー(アメリカ東海岸の街)に行った。翌朝ホテルに来た警察に拘束された。尋問され、家畜に対するような野蛮な扱いを受けた。3ヶ月半、2メートル四方の独房に入れられた。ニューヨークのトルコ領事館から、トルコの警察官が2人、私の元へ来た。私に関心を示してくれたが、後には『我々は干渉できない』と言って行ってしまった。その後、私から保証金として25,000ドル要求した。銀行に金があると言うと、『(口座が)凍結されている』と言われた。弁護士を雇い、裁判に持ち込んだ。裁判官は私に『あなたはアメリカに滞在できません、出国しなければなりません』と言い渡した。私も国に戻りたいと伝えた。手錠をした格好で飛行機に乗らされました」。
■銀行預金と車も現地に
アメリカから国外追放された際に、アフメト・タシュさんは、「2年以内に再入国すれば、凍結された財産をもう一度取り戻すことが出来ますよ」と言われたとし、精一杯の努力をしたにも関わらず、ビザを取得できずアメリカに再入国できなかったので、まったく何一つ取り戻せていない、と語った。タシュさんは「私はこのような仕打ちを受ける謂れはない。アメリカで働き、税金を払い、金を稼いだ。車と銀行預金はそこに残った。彼らは私の子どもたちの権利も強引に奪った。少なくとも、私の財産を再び取り戻せるよう、助けて欲しい」と語った。
■初の訴訟をイマーム(注1)のチュルクメン氏が起こす
コンヤ出身の元イマーム、イブラヒム・チュルクメンさんは、アメリカで9.11事件後、非人道的行為を受けたとして、アメリカ連邦政府に対して訴訟を起こした初の人物となった。チュルクメンさんは、4年半続いている裁判で証言をするため、以前特別ビザでアメリカへ入国した。アメリカの人権問題の分野で活動している団体の弁護士を通じて推移を追っている裁判は重要な段階に入ってきた、と彼は語った。
(注1)…集団礼拝の際の指導役。
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( 翻訳者:及川治香 )
( 記事ID:3474 )