ディンク暗殺で重要な二つの証言 -ディンクは死なずにすんだ
2007年01月30日付 Radikal 紙
新聞記者フラント・ディンク氏の暗殺の主犯ヤスィン・ハヤルを送り込み操っていたという容疑により逮捕されたエルハン・トゥンジェルが警察のスパイであったことが判明した一方、約1年前に通報され、事実上「やるぞ」と述べていた殺害に対し何の対策も立てられなかった(のも明らかとなった)。
エルハン・トゥンジェルが約1年前に「ヤスィン・ハヤルはフラント・ディンクを殺害させるだろう」と通報し、トラブゾンの情報局が、この情報を機密文書とともにイスタンブル情報局に知らせた、との情報があった。この情報の真偽について明言を避けた内務省と警察庁は「監察官らがこの件について調査している」という言葉で終わらせた。
アゴス紙の編集主幹であったディンク氏殺害の捜査で逮捕された6人の容疑者の1人であるエルハン・トゥンジェルは、2004年にトラブゾンにあるマクドナルドを狙った爆破事件後、爆破犯であったヤスィン・ハヤルと共に監視下にあったことが明らかになった。入手した情報によると、トゥンジェルがトラブゾン警察へ情報部員として働くこととなった事情は以下の通りであった。
ヤスィン・ハヤルとの関係が原因で監視下におかれたトゥンジェルは、マクドナルドの爆破事件に関係していなかった、といわれる。トラブゾン情報局は、当時、黒海工科大学の学生であったエルハン・トゥンジェルを情報部員にするためにマクドナルドでの事件を利用し彼を逮捕で脅かした、と(入手情報は)伝える。
■ アクユレッキは会っていないようである
トゥンジェルと会ったのは、伝えられるように、当時のトラブゾン県警本部長ラマザン・アクユレッキではなく、トラブゾン情報局の警察幹部であったことがわかった。警察へ情報を漏らした場合にはマクドナルド爆破の件で裁判にかけられないとの約束で、トゥンジェルは情報局の局員になることを説得された。
エルハン・トゥンジェルは、フラント・ディンク氏の暗殺を約1年前にトラブゾンの情報局へ知らせた、という情報がある。トゥンジェルは2006年の初めに自分と接触をおこなっていた情報局職員へ、「ヤスィンはフラント・ディンクを殺害させるだろう」という情報を伝え、トラブゾン情報局もこの情報を機密文書と共にイスタンブル情報局へ伝えた、といわれる。ラディカル紙の質問に答えた内務省関係者は、「トラブゾンで文民の主席監察官らがこの件を調査している」と述べた。警察庁のスポークスマンであるイスマイル・チャルシュカンも「監察官らが調べている」という言葉で終わらせた。
トゥンジェルが殺害計画を知らせたと明らかにされた当時、トラブゾン警察本部長はラマザン・アクユレッキであった。アクユレッキは、当時の(警察庁)情報部部長サブリ・ウズンがトルコ大国民議会のシェムディンリ委員会への発言で職務から外されると、後任とされた。アクユレッキの後任にはレシャット・アルタイが就いた。しかしアクユレッキとアルタイ両者ともトラブゾンで在任中に、トゥンジェルの情報提供があったにも関わらず、トラブゾン警察がディンク氏の殺害の主犯ヤスィン・ハヤルを監視しなかったのは、「重大な怠慢」として解釈された。
入手情報が正しければ、イスタンブルにも怠慢はあった。約1年前にトラブゾン警察の警告があったにも関わらず、イスタンブル警察はディンクを保護するための措置を取らなかった。そしてディンクは、ハヤルの犯行決意とともに17歳のオギュン・サマストによって銃殺された。イスタンブル県知事ムアッメル・ギュレルは質問に対して、「トゥンジェルの件と他の件は現在捜査中の段階である」と述べた。
暗殺の後、エルハン・トゥンジェルもヤスィン・ハヤルとオギュン・サマストと共に監視下に置かれ、逮捕された。しかしトゥンジェルは、イスタンブル警察でも検察局でも姿を現わした法廷でも、黙秘権を使い発言しなかった。
■ もう2人監視下にある
捜査により昨日(29日)トラブゾンでハジュ・サリフオール、イスタンブルでもオルハン・オズバシュという名の人物が監視下に置かれた。オズバシュとイスタンブルに連行されたサリフオールは、テロ対策支部で尋問された。
(下略)
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( 翻訳者:小野寺香織 )
( 記事ID:10034 )