米軍侵攻後のイラク社会を扱った初の小説
2007年01月29日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ 文化
■ 死のトライアングル
■ テロのルーツに関するナラティブ、政権崩壊後のイラク社会を扱った初の小説作品
2007年01月29日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP文化欄
今後の文学界は、テロ現象のルーツ検証のためにその扉を開くだろう。フサイン・アル=サッカーフによる「コペンハーゲン:死のトライアングル」(2007年ダール・ミレット発行)は、米軍による侵攻及び占領後のイラク社会、この国と人々の状況が全てひっくり返された現状を扱った初の作品である。イラクの人々は、独裁政権の圧政、全国に設けられたその刑務所、死刑執行広場、集団墓地等を耐え忍んできた。それから米軍の致命的な過ちにより、惨殺と強奪の悪夢を生きる羽目になった。悲劇や惨事という段階を遥かに超えたこの状況の中では、しばしば「ヒーロー達」のみが強調されるが、こうなった元凶、その政治社会的背景には光が当てられてしかるべきである。
作品のタイトルから明らかなように、作家は、恐るべき状況で知られた数多くのイラクの地域の中から特定の場所を取り上げている。米占領が事実となった後「死のトライアングル」と名づけられたその場所は、「アル=マハムーディーヤ」市である。バグダードから南へ30キロ、アル=ユースィフィーヤ、アル=ラティーフィーヤ等の村落に囲まれたアル=カスル・アル=アウサト地区の一部で、バベル県に属するアル=イスカンダリーヤ地区に隣接する。ここでは実際、作品内で扱われているような事が起こっている。
物語は、2004年後半、前政権崩壊から1年半以上経った時期に設定されている。読者は、デンマークのジャーナリスト「カミーラ・アンダーソン」の日記を追う形になる。彼女は、夫もしくは恋人の「アラー・アジューム」と共にイラクへ来ている。やはりジャーナリストの彼は、マハムーディーヤで生まれ育ち1991年までそこにいた。91年、彼はクウェイト占領イラク軍への従軍を拒否したため死刑判決を下されイラクから逃亡、同年デンマークで政治亡命を認められた。
書き手は、かなり遠い過去にまで遡って、「アラー・アジュームあるいはアラー・カーズィム」及びその他の登場人物の生活史を語るのだが、その中に、マハムーディヤの街と、後に「死のトライアングル」と名づけられる近隣の村や郊外を含む地域の歩みも織り込んでいる。これは、登場人物の自伝的な部分に合わせての、街の地形の描写などからも明らかである。
小説内で示されるように、ジャーナリストの「カミーラ・アンダーソン」は、バベルの遺跡付近で、独裁政権時代とその後の短い期間、つまり米占領時代に起きたとされる盗難や破壊について調べに来ている。作品は、イスラエルの考古調査団が、自分達のものだと想定している歴史遺物をバベルで発掘するため、米軍に紛れて来ているという噂の存在を示している。
この作品は、作者の観点から、イラクの土地に日々イラク人の血を流すような事態となった直接の要因に関わる事として、三つのテーマに焦点を当てている。まず、アル=マハムーディーヤは、歴史的にも学識豊かな小都市として名高く、米占領の前までは文化芸術の街として知られていた。それが、武装グループ、背信をそそのかす者達や強盗団、ギャングの跋扈する場へと変貌した。彼らは、暫定イラク政府に属する治安組織の内部で活動する軍や諜報関係者である。街の大通り、路地や公園が、醜悪な犯罪が犯される殺戮と恐怖の現場となった。更なる調査が必要な事態である。作品は、その地域が、多くの文人を輩出した文芸の街から死のトライアングルへ、他でもない住民達自身に恐れられる場所へと変わっていく様子を描写している。
ここから読者はより重要な次の点へと導かれる。近隣の村々の住民は、サッダーム・フサインが彼らを徴兵し、各種の治安組織内で将校クラスにしていたため、かつての農業の担い手から、諜報機関の人員となっていた。フセインの狙いは、アル=ファッルージャ、アル=アーミリーヤ、ディヤーラ等、バグダードを囲む街とその地域を「バグダードの安全ベルト」の名目で、軍事地区、武器庫とすることであり、マハムーディヤもその中に含まれていた。
小説が提示する第三点は、独裁政権が行った長年にわたる戦争、死刑執行による惨劇を背景に出てきた戦災孤児という現象である。作品は、政権崩壊以後、現在のイラクの通りを制圧している者達が戦災孤児であるという事を以下の表現で述べている。
「サルマーン・ダーウドがイラクの孤児の最悪の例ではない。もっと酷いのが大勢いる。イラクが体験した戦争、市民に広く公開された処刑は、数百万の孤児を残した。そう、数百だ。彼らが今イラクの通りを闊歩している。アラビア語のアブドゥッラー先生がはっきりと苦々しさを滲ませて話した事だ…通りで暮らしていた戦災孤児たちをどう思う?誰も彼らにものを教えない。家族の温もり、母の愛も父の慈しみも知らない。物乞いを覚え、暴行に遭い、刑務所に入れられ、冷たい通りが彼らの尊厳を吸い取ってしまった…そう、地獄と化したイラクを戦災孤児たちが仕切ってるんだ。」
これらの表現は、テロ、アイデンティティ(宗派)による殺害、個々のイラク人に日々その代償を支払わせているその他諸々の犯罪という惨劇が出現した真の元凶に、読者の注意を引きたいという明確な意図をもって書かれている。書き手は、マハムーディーヤの街を等身大の現実を投影する場として使っているが、他のイラクの街も、その通りで醜悪な犯罪が犯されているという点では大差はない。イラク全土は独裁政権に従っており、軍、諜報、治安要員を植えつけられていた。何処の町にも死刑執行広場があり、「祖国」の安全を維持するとの口実で犯罪が犯されていた。
作品は平易な語り口で書かれており、それが示す概念は読者にはっきりと伝わってくる。前政権時代の事件や法令については整理された記録文書を用いており、作品に示される思考に最大の場を与えるべく書き手は、象徴的あるいは情緒的な表現をあえて遠ざけている。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:10036 )