2007年1月31日イラン紙20面
【都市部】第三代イマーム・ホセインの死を悼むアーシューラー
〔ムハッラム月10日〕の行事が、預言者一家を敬愛し、その死を悼む人々の参加によって、今年も全国各地で盛大に執り行われた。
今年の行事は、これまでに比べると、簡素な雰囲気の中行われた。無謬清浄の預言者一家を敬慕する人々は、各地のモスクやヘイアト
〔宗教行事を執り行う団体〕、タキーイェ
〔ホセインらの殉教に関する悲しい物語を読み聞かせる場所〕などで、《殉教者たちの長》
〔ホセイン〕とその忠信なる郎党の死を悼んだ。各地の状況を報告する。
○ ブーシェフルの若者たちは、モスクやタキーイェなどで、胸を叩き、伝統的な哀歌を歌いながら、哀悼行事を執り行った。
ホセインらの死を悼むブーシェフル州の人々は、《殉教者たちの長》が殉教した日の前日の晩
〔ムハッラム月9日の夜〕、
〔ホセインらの痛みを追体験し、ホセインらを助けることができなかったことを悔いるために〕胸を叩き、
〔ホセインの子で、ホセインらとともにウマイヤ朝カリフ・ヤズィードの軍勢との戦闘に参加して命を落とした〕アリー・アスガルの山車を掲げ、太鼓を叩き、専用の音楽を奏でた後、明朝の明け方モスクやタキーイェで朝の礼拝を行った。
日が昇ると、さまざまな行進団体
〔ダステ〕が、胸や背中を手や鎖で叩きながら市中の通りを練り歩き、正午のアザーン
〔礼拝を呼びかけるかけ声〕まで哀悼行進を続けた。
○ 北ホラーサーン州の人々は昨日、《殉教者たちの長》を追悼する行事として、さまざまなダステやヘイアトを結成、頭を叩き涙を流しながら、各地区のホセイニーイェ
〔ホセインの殉教物語などを語り、説教をする場所〕やタキーイェを出発して、市中を練り歩いた。そして彼らは、胸や背中を手や鎖で叩いて、預言者一家が味わった苦しみに対する悲哀の気持ちを表した。
人々はみな、各親族行きつけのホセイニーイェやモスクで各地の様々な所作を交えながら、
〔最後の審判の日に救世主として再臨し、それまではお隠れ状態にあると十二イマーム・シーア派に信じられている、第十二代イマームの〕《時代の主》とともに、痛みを分かち合った(注1)。
〔後略〕
(注1)《時代の主》と呼ばれる第十二代イマームは12人のシーア派イマームのうち、唯一、殉教せず、幼少時に「お隠れ」になり、やがて救世主として再臨するとされている。このため、シーア派の人々はこのイマームが今も生きており、(ホセインを含め)殉教した他の11人のイマームの死を常に悼んでいると信じて、哀悼行事に際して彼の悲しみをともに分かち合う。
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:10038 )