ディヤルバクルの「交換婚」裁判、34年求刑へ
2007年02月04日付 Zaman 紙

ディヤルバクルの共和国検察庁は、自分達の子供を「交換」して結婚させた二人の父親を起訴し、34年の禁固刑を求刑した。

起訴された事件は、約7ヶ月前に叔父の息子との結婚を強いられた17歳のアイシェ・アタシュが、他の村に住む、自身が好意を抱いていたフェルハト・カチャルのところに逃げ込んだことに始まり、このために両家の間には敵意が生まれた。アタシュ家は、両家に和解をもたらすため、逃げ出した自分の娘の代わりに、カチャル家に自分たちの息子と結婚させる娘を要求した。カチャル家は、この事件を流血の復讐に発展させないために、娘のH.K.をアテシ家に嫁がせることに賛成した。15歳のM.A.とH.K.は、両家の希望からイマーム・ニキャフ婚(訳注:イスラム導師の承認のみによる非合法の婚姻)により結婚した。

新聞で「交換婚の犠牲になった子供たち」という見出しで記事が報じられた後、ディヤルバクルの共和国検察庁は事件に関する捜査を開始した。子供たちを「交換」して結婚させたメフメトA.とラマザンK.を「児童に対する巧妙な性的悪用」の罪で起訴した。起訴状の内容は以下の通り:

「捜査の一環として行われた調査によれば、ディヤルバクル中心部に程近いドゥムルル村のアイシェ・Aがハバジュラル村のフェルハト・Kと駆け落ちして結婚した後、地元で広まっている慣習の一つ、『交換』という形でフェルハトの妹のH.K.とアイシェの弟のM.A.が結婚させられた。H.K.とM.A.は15歳であったことが確認された。」

一方、起訴された父親二人は、罪を認めていない。メフメトA.は供述で、「交換」婚は行われていないと主張した。H.K.の父親であるラマザンK.も、子供たちは互いに愛し合っており、彼らの合意を得てから結婚させたのだと述べた。起訴状では、父親らに対し34年の禁固刑が求刑された。

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( 翻訳者:松岡聡美 )
( 記事ID:10082 )