墓地で携帯電話を介して祈りを捧げる
2007年02月16日付 Hurriyet 紙

日常生活で欠くことのできないもののひとつである携帯電話へ、音楽を聴くことが出来る機能に続き今度は「祈り」を聴くことが出来るサービスが開始された。2YTL(約180円)で13分のヤースィーン章(コーランの第36スーラ「章」)を携帯電話に取り込んだムスルム・アルトゥンは、おじの墓によく訪問しているが、スーラを読み上げることが出来ないのでこのシステムを選んだと明かし、「亡くなった人たちのため、一般的に墓地では第36スーラをささげます。毎回ホジャ(イスラム僧)を見つけて読んでもらうことは私にとって難しいので、このようなサービスを利用し、スーラを携帯電話に取り込みました」と話した。

都市部でビジネスを展開する通信会社のオーナーであるセダット・ギュムシュは、最近は携帯電話に音楽やビデオと一緒に祈りやスーラも加えるため申し込みが増えていると述べた。特に第36スーラを知らない人が、スーラを学ぶために、また親しい人の墓に行ったときに流すために、携帯電話に(スーラを)取り込んでいると指摘したギュムシュは、「最近は、第36スーラの要望に応えて携帯電話にサービスを提供している。(顧客達は)このスーラを特にお墓の前で流すために利用している。当社では、2YTLで携帯電話にダウンロードできる第36スーラと、希望があれば他の祈りのフレーズも提供している」と話した。

■宗教は、科学技術の利用を提案している

シャンルウルファ県宗務局補佐であるメキ・ソルマズも、墓地で携帯電話を使って第36スーラを流すことに全く何の不都合もないと述べた。ソルマズは、宗教は人々に科学技術の恩恵を受けることを提案しているとし、スーラがトイレや酒場のような相応しくない場所では流されてはいけないと述べ次のように続けた。
「我々は、技術が身近にある生活を送っている。人間としても技術に対応しなくてはならない。今日、宗教的な意図で携帯電話にコーランの聖句や章を取り込んでいるが、これらの聖句や章が着信音にされると、相応しくない場所で電話がかかってくることもありうる。特にトイレで電話が聖句や章の朗誦を流すというのはよろしくない。宗教的に適さないし、人々もよく思わないはずだ。このような類いのメロディーは場所によって鳴らすのがより相応しい。墓の前で第36スーラを携帯電話を介して流すことに対しては全く何の問題もない。反対に、亡くなった人の魂に祈りを流すことは、死者にとっても携帯電話を使って鳴らしている人にとっても善い行いだ」

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( 翻訳者:近岡由紀 )
( 記事ID:10193 )