「2月28日」とは本当は何だったのか?
2007年02月28日付 Yeni Safak 紙
1995年総選挙で第1党として選出された、ネジメッティン・エルバカンを党首とする福祉党は、3ヶ月の祖国党・正道党(ANAYOL)の少数与党政権に引き続き、タンス・チルレルを党首とする正道党と、福祉党・正道党(REFAHYOL)連立政権を組んだ。
エルバカンの(就任後)最初の外遊先が、リビアをも含むイスラーム諸国であったこと、リビア国家元首であるムアンマル・アル・カダフィがトルコを批判した演説に、エルバカンが沈黙したままだったこと、首相官邸で開かれたイフタール(断食明けの食事)、宗教関係者の採用主張、そして、福祉党選出のスィンジャン市長が開催した「エルサレムの夜」などが、「2月28日」に至る一連の事象の一つひとつとして円環を結んだのである。
特に「エルサレムの夜」の後にスィンジャン市街に出動した戦車が、近づいていた「2月28日過程」の最も重要な象徴であった。この時期に最高裁判所の共和国検事局は福祉党を閉鎖する訴えを起こした。
エルバカンを首相とする第54次政権の最期をもたらした、国家安全保障評議会(MGK)の会議が1997年2月28日に開かれた。
この会議において採択された18項目の決議は、政治史に「2月28日決議」として記された。「2月28日過程」は後日、「ポスト・モダン・クーデター」と呼ばれることになる。連立政権はなおしばらく維持されたが、「過程」は内閣総辞職という結末に至った。
■関係者は今、何を考えているのか?
1997年の福祉党・正道党連立政権期に「2月28日決議」として知られ、議論された「過程」から10年が経った。「『2月28日』はクーデターだったのか、影響はどうであったのか?」という問いに対し、昨晩(2/27)CNNトルコで放映された「中立地帯」という番組において答えが模索された。
番組の中で、福祉党が閉鎖されるよう訴状を出した、当時の最高裁判所共和国検事総長のヴラル・サヴァシュは、「『2月28日』とは、クーデターを目論んでいた者達に対する法の行使だった」と述べた。トルコ革命労働組合連盟(DİSK)の元委員長であるルドヴァン・ブダクは、市民社会組織がその後に起こりうる軍事介入を防いだと述べた。
討論には、「2月28日」期に首相府参事官であったヤシャル・ヤズジュオール、イェニ・アスヤ新聞社主である(メフメト)クトゥルラル、ザマン紙総編集長エクレム・ドゥマンル、元DİSK委員長ルドヴァン・ブダク、そして閉鎖された福祉党の元イスタンブル選出国会議員であるムカッデル・バシェメズが参加した。
「2月28日」時の最高裁判所共和国検事総長ヴラル・サヴァシュは、非常に重要な主張をした。つまり「2月28日」は「クーデター」ではなく、それどころか「クーデターを防いだ動き」であったと述べた。
また、「アメリカは、政権の転換がクーデターを通してなされることを望んでいた可能性がある。私が検事総長であった混乱した情勢のなかで、スイッチを押してある事態をつくりだそうとする動きがあった。すなわち、『2月28日』はクーデターではなく、クーデターを起こそうとする者たちに対し、司法が動いたことを指す」と述べた。
さらにサヴァシュは続けて、軍部の大多数と、当時の参謀総長であるイスマイル・ハック・カラダユ大将の名はその中にはなかったと述べた。
ヴラル・サヴァシュは、「もし、あの時期にデミレルのような大統領、カラダユのような参謀総長、そして法を行使する私のような検事がいなかったならば、私は(軍部の)体制への介入が起こりうるという考えに間違いなく達しただろう。しかし、この訴訟を起こしてから数ヶ月のち、事の真相を知った」と述べた。
ヤシャル・ヤズジュオール元首相府参事官は、「私は30年来この経済システムの中にいるが、(あの当時は)我々が最良の決定をした「過程」であった。(つまり)プール・システム(訳注:国営企業への特別低金利融資)、1リラ=1ドル、減税、金利の引下げである。この経済システムが一国主義的であることで、誰が困っただろうか?それはグローバル資本である。グローバル資本は、エルバカン師のこのシステムが続くなら、トルコをグローバル資本の利益に奉仕させることはできないと判断したのだ」と語った。
メフメト・クトゥルラル・イェニ・アスヤ紙社主はといえば、「介入は我々すべてに、いろいろなことを教えた。良いことも悪いことも。現状で我々のなすべきことはもはや次のことだけである。つまり、皆がこの民主化を受け入れ、国民が選び国民が辞めさせるのだということを、一群の他の権力も受け入れることである。というのも、この国民の意志が選んだものを、(当時)全く別の勢力が引きずり降ろしたからである」との表現を使った。
ブダク―元DİSK委員長―も、「周知される必要がある最重要なことは、『2月28日』において、市民社会組織がその後に起こりうる軍事介入を未然に防いだことである」と述べた。
エクレム・ドゥマンル・ザマン新聞総編集長は、「毎日祖国が失われつつあるというような発言が、社会の分裂を強めている。様々なアイデンティティとも国家は和解しなくてはならない」と語った。
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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:10301 )