イラクで文芸フェスティバル
2007年03月24日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ 文化省、ワーシトで第6回ムタナッビー・フェスティバルの準備
2007年03月24日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP最終面
【アル=クート:ディヤー・アッサーリハ】
文化省代表団が、日曜から3日間アル=クート市で行われる第6回ムタナッビー・フェスティバルの準備のためワーシト県を訪れた。行事は、「ムタナッビー通り(バグダードの書店街として知られる地区)の炎から、アブー・タイイブ・ムタナッビー(アラブ・イスラーム史上の大詩人)は蘇りワーシトで燦然と輝く」というスローガンの元、文化省と文学者作家連盟が共同で開催する。
文化省文化広報局長、アキール・アル=マンダルウーリー博士が本紙に述べたところによれば、同省は、フェスティバルを毎年行われる国際的な催しとしてアラブ世界の内外から文化人が参加できるようにしたい方針であり、それに向け努力している。また、フェスティバルには、アラブの詩人ムタナッビーに代表されるイラクの文学、芸術創造の力をアピールするという意味もある。これらの目標実現のため、フェスティバルはムタナッビー廟のあるワーシト県で開催され、他の場所に移される予定はない。
ムタナッビーはヒジュラ歴301(西暦913-4)年、イラク中南部キンダと呼ばれる場所に生まれ、本名をアフマド・ブン・アル=フセイン・ブン・アブドゥッサマド・アル=キンディー・アル=クーフィーといった。354(西暦965)年、詩の中で風刺した、ファーティク・ブン・アビー・ジャハル・ラーシディーという人物によって致命傷を負わされ53歳で没している。事件が起きたのがワーシト県アル=ナアマーニーヤ地区のディール・アル=アークールという場所付近でムタナッビーはその地に埋葬された。
初めてムタナッビーの名を冠した詩のフェスティバルが行われたのは、1967年バグダードでのことだった。その後27年の間を空けて1994年ワーシト県で第2回が開催、96年、2000年と引き継がれ、政権崩壊後の2004年に第5回が行われた。
マンダルウーリー局長は、文芸と学術を代表するバグダードのムタナッビー通りがテロリストに蹂躙され爆破される現状においては、このムタナッビー・フェスティバルを開催すること自体が、そのような悲劇に対する文明的文化的な対応であり、また、これを通じて、ムタナッビーと彼の詩、イラクの創造力はバグダードの通りに留まらずイラク全土に開かれている事を表明したいと述べた。
文化省は、各種の文化フェスティバルや文芸の集いを通じ、継続的にイラクの文芸運動活性化を図っており、創作活動一般を支援するのに顕著な役割を果たしている。第6回ムタナッビー・フェスティバルもその一環である。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:10481 )