独立戦争の戦士も残るはふたり
独立戦争で、兄弟や友人を亡くしながらも、くじけずに敵を打ち破った戦士のひとりが、この世を去った。
生き残っていた3人の独立戦争の戦士のひとりであるヴェイセル・トゥラン氏が、108歳で亡くなった。傷病戦士・戦争未亡人・孤児協会の代表が行った書面での発表によれば、コンヤで娘と一緒に生活していた、最後の3人の勇者のひとりトゥラン氏の死去を受けて、独立戦争で活躍した存命の戦士は2人となった。
ドゥムルプナル(1922年)、サカリヤ(1921)、第二次イノニュ川(1921)の戦闘に参加したトゥラン氏は、コンヤのセルチュク郡アイドゥンルク・エヴレル地区で、年少の娘の家で生活していた。長い間、在宅で医師の診療を受けていた同氏は、昨日病状が悪化したために、コンヤ・メラム教育・研究病院の神経科に搬送されたが、助かることはなかった。
トゥラン氏は、7人の子と25人の孫を持ち、人生の20年間を病床で過ごし、最後の2年間は話すことも出来なくなって、医者の診療の下にあった。また異なる時期に腎臓や前立腺の手術を受け、その後2005年の8月には鼠蹊部ヘルニアの手術を行っており、故人の家へは、健康上の理由から1年間訪問が謝絶されていた。
独立戦争に衛生兵として帯同したトゥラン氏は、まだ若い頃にアンカラのアタテュルクの軍隊に馬に乗って駆けつけた。第一旅団の攻撃大隊の騎兵としてドゥムルプナル、サカリヤ、第二次イノニュ川の戦闘に参加した。
昨日(25日)はトゥラン氏の家へ弔問を望む人が殺到した。同氏の孫のメフメト・アリ・トゥラン氏は、「トルコ国民があの年代に経験した苦しみを、書物に記された英雄的伝説を、祖父は私たちに語って聞かせたものでした」と述べた。同氏の娘のサミイェ・トゥラン氏は、「父は絶えず祈り、アッラーのことを口にしていました」と語った。同氏の孫のイスマイル・ウルソイ氏は、彼自身の父であるアブドゥッラー・ウルソイ氏も朝鮮戦争に従軍したことを付け加えて、「私の父も一週間前にこの世を去った。これを聞いて祖父の様子はかなりひどくなった」と口にした。
■ 最後の旅立ちを軍の式展で見送った
傷病戦士・戦争未亡人・孤児協会の発表によれば、ヴェイセル・トゥラン氏の死去に伴い、独立戦争の兵士で存命なのは、エスキシェヒル在住のヤクップ・サタル氏とイスタンブル在住のM.シェキップ・ビルギョル氏だけとなった。
昨日永遠の眠りについたトゥラン氏は、コンヤで行われた葬儀の後、執り行われた軍の式典で最後の旅立ちを見送られた。セリミイェ・モスクで行われた軍の式には、公正発展党会派代表ファルク・チェリキ氏、駐屯軍司令官ウウル・ウザル少将、コンヤ広域都市ターヒル・アクユレッキ市長、そして多くの国会議員と市民が参列した。正午の礼拝に続いて行われた葬儀の礼拝のあとで、トゥラン氏の亡骸は、兵士に担がれ、ブラスバンドの演奏に合わせてしばらく葬列を続けた。その後、市民は、トルコ国旗にくるまれたトゥラン氏の棺をユチレル墓地まで運び、彼の亡骸はここに埋葬された。
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( 翻訳者:山本裕一 )
( 記事ID:10485 )