Turker Alkan コラム:道具、手段、あるいは乗り物としての宗教!
2007年05月17日付 Radikal 紙

エルドアンさんは一種の「道具/乗り物」(解説参照)の苦痛の最中にある。民主主義は道具で、世俗主義は道具で、ひいては(神よゆるし給え)宗教さえも、彼にとっては道具である!「選挙ひとつに、神は、なんといろいろな道具を出されることよ!」と私は言わずに居れなかった。

問題は全て、(かつてエルドアン首相が行った)「民主主義は路面電車のような一種の乗り物である。降りたい停留所で我々は降りるのだ」という発言に端を発する。そもそも、このような比喩は福祉党所属の人々にとっては、ちっとも新奇なものではなかった。エルバカンの「我々は来たるべし。全ての問題は、我々の歩みが流血を伴うか、否かである」というアフォリズムに集約されていた。当時、福祉党の首脳のひとりであったエルドアンが、エルバカンに反論して、「民主主義という(名の)路面電車で血が流れることはあってはならんのです」と言ったのを、正直なところ、私は覚えていない。

まったく逆に、福祉党の青年党員たちが最も好んだスローガンの中には民主主義反対を唱えるものが(複数)あった。「神の秩序来たるべし、衆人の体制(つまり、民主主義)絶えるべし」と言って憚らなかった。まさに、全てにとって、実際の憲法は『コーラン』であり、人間が法を定めることはありえないのだった。

「それはそうだが、これらは全て悪夢で、過去の話だ」と皆さんは仰いますかね?私にとってはそうではないのです。公正発展党首脳の妻たちの、制服を思わせる一様な服装、要職に就いた人々の妻全員がスカーフ姿であること、「我々が、敬虔な、フリーメーソンではない大統領を選ぶであろう」という言い回し・・・。

全てが、ゆっくりゆっくり、積み重なったのである・・・。

目下、エルドアンさんは問うておられる。「この4年間で何が変わっ(てしまっ)たといって、世俗派の集会(解説参照)が行われているのでしょうか?」これには、「賢しい空トボケ」だと言うほかない。

「民主主義は路面電車だ」という考え方に、エルドアンが一時期心から賛同していたと私は信じている。今になって、「宗教も道具で、世俗主義も道具で・・・」と言って人々の頭を混乱させようとしたところで、(1997年)2月28日まで、(彼は)民主主義を、我慢すべき大いなる厄災だと考えていたのだった。

ミッリー・ギョルシュ[(ムスリム)国民の視座]運動の首脳であった人々のひとりとして、エルドアン首相は「私は間違っていました」と言うこともでき、またどうして間違ったのかを説明しようと務めることもできるはずなのだ。しかし、それをやらずに、自らの過去に関するけじめから逃げ続けている。そして、一時信じて語った事柄を打ち消すために、慣れない理論遊びに頼っている。

「世俗主義、宗教、そして民主主義は、それぞれが、幸せの(ための)手段であります」という発言が、エルドアンによってどの程度真剣に口にされたのかを知ることはできない。しかし、この発言は、問題の傷口を拡げてしまっただけではなく、実際には解決にも程遠いのである。

人の幸せとは何か?どうやったら保証されるのか?幸せの解釈や、幸せの目的や、幸せ(を得るため)の手段が一様ではなく、それらの間に食い違いがあるのだとすれば、このジレンマから私たちはどうやって救われるのだろう?民主主義、世俗主義、そして宗教を犠牲にすることによって我々が抱える問題を解決できるだろうと語る人々が出てきたら、どうなってしまうのか?これと同様の問いが常に出てくることになるだろう。

哲学というのは、往々にして、単純だと見受けられる問い(たとえば、「幸せとは何か?またどうやってそれは保証されるのか?」)に、込み入った答えを返す芸術になってしまいかねない。エルドアン首相の「世俗主義、宗教、そして民主主義は、幸せの(ための)手段であります」という発言も、かくのごとく安易に適用できるような見解ではないのかもしれない。そんな訳はあるまいが、首相のこの発言を読み、影響を受けた何千という人々は、明日こう言うかもしれないのだ。「首相は、宗教が一種の乗り物だと仰っている。じゃあ、私たちはこの乗り物から降りたいのですが。どこか適当なところで停まってもらえますか?」



***《解説》***

○「道具/乗り物」
本コラムの和訳における「道具/手段/乗り物」は、いずれもトルコ語原文ではaraç(アラチ)という単語に相当する。原義を辿れば、おおよそ「あるもの(A)と、あるもの(B)とを結びつける/関連づけるもの・媒介物」と説明できよう。そこから転じて、手段/道具(ある状態からある状態へと変化する/させるための「媒介物」)、乗り物(二つの地点を「結びつける」もの)といった意味が派生する。

○世俗派の集会
原文では、laiklik miting(ラーイクリッキ・ミティング)である。「集会」と和訳可能なトルコ語の単語として、トルコ語の「集まること」を意味する動詞から派生した、toplanti(トプラントゥ)を挙げることができるのだが、ここでは敢えて西洋語起源の表現が用いられている。これには、第一次世界大戦終結後の占領下のイスタンブルで抵抗運動が組織され始めた時期に行われた決起集会が、mitingと呼ばれていたことが関係している。つまり、世俗主義や共和国体制を擁護する人々にとって、目下の状況は、第一次大戦後の混乱を想起させるような難局だと捉えられていることの表われであろう。また、mitingと表現することで、彼らが、今から80年以上も前の「建国・祖国防衛の先人たち」の立場を継承する側の人間であることを明確化する意味合いも備わることになる。[2007年5月18日 執筆〕

但し、外部(日本)からの上記のような「イスラーム主義と世俗主義に二分されたトルコ」という分析が、必ずしも現状を的確に言い当てているかといえば、若干の議論の余地があろう。例えば6月3日付けのZaman紙に掲載された「解説 オズブドゥン教授: 2つのトルコがあるのだろうか?」は、「世俗派集会」という名の下に集った人々が、実際のところ、どのような背景(志向)を持つのかを統計結果を示しつつ丹念に語っており、極めて興味深い内容である。[2007年6月10日 執筆]

(以上文責:長岡大輔)

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「民主主義は路面電車」発言に言及した同コラムニストによるコラム(和訳)

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:10923 )