イラク、アルビル市民公園プロジェクト
2007年07月01日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ サーミー・アブドッラフマーン公園、北イラク最大の軍営地からアルビル随一の憩いの場へ
2007年07月01日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP国内レポート面
【アルビル:シャード・アブドッラフマーン】
前政権による専制時代のイラクでは、多くの街が武器庫と化し、国全体が巨大な軍営地のようであった。中でもアルビルは、クルディスタン、モースル、ティクリートも含めた北イラクで最大の軍事拠点であり、前政権は常に内外で戦争状態にあったため、この街の住民は心の休まる時がなかった。イラン・イラク戦争時代は継続的にイラン機の空爆にさらされ、第二次湾岸戦争中は、昼夜を問わず爆発の音が響いていた。その大部分を軍事目的に使われた街は麻痺し、軍事拠点のある地域近くを通行する事は住民にとって有難くない冒険であった。そのため、1991年3月インティファーダの際、アルビルの軍事拠点は蜂起した民衆の攻撃目標となった。
事態が落ち着いた後、周辺の通行がタブーであった、その軍事拠点跡を市民用の公園にしようという提案が出た。クルド自治区副首相であったサーミー・アブドッラフマーン氏の未亡人は次のように述べる。
「1998年、自治区首相の手で礎石が置かれ、2000年にサーミー・アブドッラフマーンが副首相になると、苦しみと殺戮、破壊の象徴であった場を、将来の希望の象徴にするのだと、熱心に事業に取り組みました。2003年には計画の第一段階が完了し、市民に開放されたので、事業開始から5年も要しなかったという事になります。クルドの人々は、サッダーム時代には恐怖の的であった場を、街の「心臓」として、アルビルで一番美しい公園に変えたことを誇りに思っています。様々な記念碑が置かれ、年間を通じて文化スポーツ、市民集会など各種の催しの会場として使われています。毎日何千という人が訪れ、外国人も来ます。」
当初アルビル公園と呼ばれていたその場所は、2004年、サーミー・アブドッラフマーン記念公園となった。同氏は、その年2月に起きたクルド二大政党事務所を狙ったテロ事件の犠牲者の1人だった。市議会関係者らが、公園に特に関心を寄せていた故人を偲ぶために決定したものである。
園内では韓国図書館計画が進行している。これは、元々韓国の人々が使用していた施設を譲り受け、韓国風あるいは日本風の独特の建造物として増改築するという事業で、韓国の出資により、クルド語、アラビア語、英語の蔵書を有することになる。3万㎡の敷地にホール付の二階建てが構想されている。また、自治政府予算により、レバノン人芸術家の手になる、クルド民族とその支援者達を記念する各種モニュメントの建造も開始された。
公園管理局長、ファフミー・カマール・アフマド氏によれば、敷地の総面積は800ドゥナム、 200万㎡相等で、第一段階でその半分近くが完成、これには200名収容のレストラン、10軒の売店、児童公園と野外劇場が各々2つ、トルコの会社に依頼した噴水付の池などが含まれる。また、巨大スクリーンも数点設置された。
園内の記念碑、彫刻等の中には、2004年2月のテロ犠牲者、サーミー・アブドッラフマーンとその息子サラーハを含む89名を悼む物や、イラク詩人ムハンマド・マフディ・アル=ジャワーヒリー、クルドの女性詩人マストゥーラ・クルディスターニーを記念するものがあり、また「女性の自由」記念碑が正門に据えられている。
平日には約5千人、休日、祝祭日には約3万人が訪れる。ノールーズ(春祭り)など国民の祭日は一層賑わう一方で、試験期間中の学生は、学習にふさわしい静かな雰囲気を求めて訪れる。自治政府関係団体も、文芸、スポーツ活動などによく利用し、最近では世界子供フェスティバル、「サラーハ・サーミー・アブドッラフマーン・スポーツ財団」の企画による陸上競技会などが催された。
2006年から公園事業は第二段階に入り、タワー、レストラン、人工池、クルド民俗博物館、駐車場、児童公園、スポーツ施設などの建設が行われている。この第二段階により公園管理棟、プール、ガレージが完成した。管理局長は、この機に、休日返上で作業に当たっている現場の人々感謝を表明したいと述べた。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
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