トルコは微細に様々な文化が混じり合った社会: アティッラ・ドゥラクの写真展
2007年07月02日付 Yeni Safak 紙

トルコの文化的多様性を反映したエブル・プロジェクトがイスタンブルのビンビルディレッキ・サルヌジュで開かれている。同プロジェクトは、アティッラ・ドゥラクが2001年から2006年の間にトルコ各地を旅し、40以上のエスニック集団の今日の様子を写真に収めたものから成っている。これらの写真のうち173作品は、7月9日までビンビルディレッキ・サルヌジュで展示され、320作品は、わが国の文化的多様性を、よく知られていないトルコの物語とともに説き明かすエブル(マーブリング)という名の本として出版された。


■ カルスにドイツ人が住んでいた

このプロジェクトを思いついた背景には、幼少時代から多文化の環境に囲まれていたことが挙げられると話すアティッラ・ドゥラクは、「ここが大好きです。ここの人々が大好きで、ここの人間に興味を持ちました。ここで異なるということがどういうことなのか、相違の中で暮らす人々に興味を抱きました。これがきっかけで旅に出ることにしたのです」と続けた。トルコがモザイクではないこと、様々なエスニック集団や文化の間にミゾが存在していないと述べるドゥラクは、このためにプロジェクト名を柔軟で移り変わりやすいエブルにしたこと、またエブルの多彩な色のようにトルコの文化も相互に混ざり合っていることを述べた。

「トルコのどんな色も、他の色から何かを得、他の色に何かを与え、混ざり合ってきました。黄色がそこで、赤がここで、というわけではないのです。何とも混ざっていない純粋なエスニック集団はありません。」

トルコ各地を旅し、迎え入れてくれる家族のところに泊まり、水を見つければ体を洗い、寝る場所がなければ自分の車で寝泊りし、どこの家でもご厚意で現地の家族と食卓を共にしたドゥラクは、結婚式、お葬式、宗教的行事や移動に立ち会った。この途中で面白いことにも遭遇した。例えば、カルスでドイツ人たちと出会ったようだ。カルスがロシアの統治下にあったとき、農業開発のためにトルコに住まわされたドイツ人の農民たちが、今ではその数は非常に減少したが、エスニック集団として存在を続けているそうだ。


■ ハイタカの写真は撮れなかった

アティッラ・ドゥラクは、ラズ人とハイタカを写真に収めるために悪戦苦闘したようだ。

「黒海に行った時は、ハイタカの渡りの時期ではありませんでした。つまり、ハイタカは点在していたのです。しかし、そこにハイタカがいるのはわかっています。約3ヶ月間ハイタカを探しましたが、見つけることはできませんでした。ある日4人のラズ人が肩にハイタカを乗せてドンジャラ(麻雀のようなもの)をしているのを見かけました。しかし、手元にカメラがなかったのでその写真を撮ることはできませんでした。」


■ 単一であることは、誰でもないということ

プロジェクトの考えの土台となす目的で作成され、思想家ジョン・バージャーの序文で始まるエブルという名の本では、セゼン・アクス、アラ・ギュレル、エリフ・シャファク、イスハク・アラトン、ネバハト・アクコチ、ムラト・ベルゲを含む24人の作家や思想家の文章が掲載されている。それぞれの分野でこのテーマに関わる仕事をしている人を選び、さらにこの24人をプロジェクトに組み込みたかった、とドゥラクは話している。

セゼン・アクスは本の中の文章で「単一の文化はその豊かさや多様性を継続させるのが難しい。この単一性や同質性は、アイデンティティーの形成に役立つどころか、『何者でもないこと』をもたらす以外、何の役にもたちはしない。だからトルコがアイデンティティーを認識する際、多様性は必要である」と述べた。この問題について、トスン・テルジオールは以下のように解説した。

「そうした多様で文化の混ざり合った土地に、飛行機に乗って見るように遠くから、うわべだけざっとみると貧しい文化のように見えるかもしれない。しかし、これほど多様な要素によって培われてきた文化によって、実はこの多様性によってこそ、われわれは豊かなのだ。」

メティス出版発行の本には、カラン・ミュージックにより厳選された21曲から成るCDも付いている。

Attila Durak / Ebru : Kültürel çeşitlik üzerine yansımalar, Metis Yayınları (İstanbul 2007).

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http://www.radikal.com.tr/ek_haber.php?ek=cts&haberno=6797

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:11297 )