アングラ音楽をめぐる第二回目のセミナーが開催:危険視する声がある一方で、擁護する声も
2007年07月29日付 Jam-e Jam 紙
【文化芸術部】第二回アンダーグラウンド・ミュージック(アングラ音楽)会議が、メフル通信にて開かれた。第一回目の会議では、アングラ音楽グループの関係者が、イランにおける音楽の現状について自らの見解を述べ、アートとしての自らの活動を正式に認めてくれるよう、訴えていた。
音楽家でタール演奏家のジャマール・サマーヴァーティー氏は、この会議で、アングラ音楽が近い将来、危険なものに変質するおそれがあると指摘した上で、「もしこの現象に注意を払わねば、どのような結果がもたらされるのか、予断を許さない」と注意を促した。
他方、作家で音楽評論家のアディーブ・ヴァフダーニーは、今回で二回目となるアングラ音楽研究セミナーで、次のように述べていた。「ほとんどの音楽作品は、クオリティが高いとは言えない。これは、アングラ音楽にのみ当てはまるのではなく、公式筋からきちんと許可を得た作品のほとんども同様の問題を抱えている、というのが私の意見だ」。
その上で同氏は、次のように続ける。「質が低い原因は、はっきりしている。すなわち、ミュージシャンの多くが十分な収入がなく、そのためフルタイムで音楽に打ち込むことができず、満足のいく作品を作ることができないからなのである。私は、白タクの運転手などをして糊口を凌いでいる作曲家たちを、複数知っている。こんな状況で、どうして良質の音楽を彼らから期待できようか」。
文化イスラーム指導省音楽局の監督官ののファリード・サルマーニヤーン氏は、アングラ音楽は実際にはアンダーグラウンドな〔=反体制的に地下に潜行した〕ものではないと強調して、「アングラ音楽は最近になって起きた潮流であり、国家や政府の行政組織に対して異議を唱えるようなものでは全くない。このような現象は世界のあらゆる国にも見られるものである」と指摘する。
同氏は続けて、音楽に興味をもつ若者が増えているにもかかわらず、この10年間それを良い方向へと導く組織が不在であったことに言及して、次のように述べる。「アーティストとは、自らの作品を創作し世に問うことが、その仕事である。しかし、彼らはあらゆる理由から、必要とされる支援を受けてこなかった。そのために、自らの作品をさまざまなルートを通じてリスナーに届けざるを得なかったのであり、そのようなルートの一つの帰結が、アングラ音楽なのである」。
サルマーニヤーン氏はさらに、「アート、特に音楽の世界で活躍するどんなグループも、アンダーグラウンドにとどまることを望んでいるとは思われない」と付け加える。「このようなグループのどれもが、国から正式な許可を得たいと望んでいると、私は考えている。ところが残念なことに、国の責任者たちはここ何年も、若者の力を組織し、良い方向へと導くような施策に手を出そうとしてこなかった」。
しかしその一方で、音楽配給会社のモハンマド・アリー・チャーヴーシー氏は、もしわれわれがアングラ音楽特有の「訛り」や「色」、特質を矯正して、国が認める公的な「訛り」へと導こうとしても、それは不可能であり、実際「臼で水をすり砕く」がごとき徒労に終わるだろうと指摘している。
マーフヴァル出版のセイエド・モハンマド・ムーサヴィー編集長も、議論に加わっている。「どんな芸術作品であれ、それを制作するためには許可を得なければならず、そのためには複雑な過程を経なければならない。そのため、音楽作品を世に出す許可を得るためには、制作会社や配給会社はそれこそ無力である。というのも、われわれ自身が自信をもって世に出すことのできるすばらしい音楽を作ったとしても、許可を得るためには3ヶ月間もの間列に並んでいなければならないからだ」。
ムーサヴィー氏はさらに、次のように指摘している。「私が聴いた(アングラ音楽の)作品の中には、風刺が含まれていたり、古典詩に対するジョークが含まれているものがあり、大変興味深く新鮮であった。多くの批判の声があるが、私はこの種の言葉の遊びが悪いものだとは思わない。というのも、この種の音楽は単に規範を壊すだけでなく、文化の世界に誤って定着してしまったタブーを壊すという、いい意味での大胆さというものがあるからだ。同時に、アングラ音楽のいいところは、西洋の歌手やルーミー、サアディーの詞を歌う代わりに、これらの詞を全く異なった形で歌っているところにある。このことは、若者の趣向にもよく合っているといえる」。
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:11539 )