論説:イラク新政治連合批判
2007年08月22日付 al-Quds al-Arabi 紙
■穏健派連合か、分割派連合か?
2007年08月22日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP論説面
【アブドッラフマーン・ムジード・アッラビーイー】
占領以来イラクでは、全ての政府が失敗に終わっている。形成初期の政府委員会、アッラーウィー、アル=ジャアファリーの暫定政府を経て、現在のアル=マーリキー政府に至るまで、それらは元からアイデンティティもルーツも、実効力も持たず、模倣し屈従する政府だったからである。
彼らがイラクに残された物を根こそぎにした。2003年4月9日に(連合軍から)主権が移譲されるやいなや、暴徒がバグダードを襲った。考古遺産を盗み、盗めない物は破壊し、図書館や書店を燃やした。知識は彼らの敵だったのだ。何も無くなると彼らは、病院の患者の家族からも盗むなど悪事を極めた。
ヌーリー・アル=マーリキーは、米政権の下ではあっても、権力を味を覚えた。首相閣下と呼ばれて彼の耳は喜ぶようになり、自分が真の長なのだと思い込んだ。各国を訪問し、相手国の長と並んで国歌に合わせて閲兵したりするのでは無理もないだろう。占領下のイラク共和国の国歌は、我々が小学校で繰り返し歌わされた「わが祖国わが祖国」を即興風にアレンジしたものなのだが。
また、アル=マーリキーには、かつてのカフェ仲間から選んだと言われる50人の顧問がいる。ある政治コメンテーターが言うには、マーリキーの大使の1人は元肉屋で、あとは宗教学校の卒業生だそうだ。首相は彼らに一体何を相談しているのか。また、彼らは、どういった見解に基づいて情報を供給しているのか?
マーリキー政府は失政から失政へと転がり落ち、人々の日々の生活、水、電気、燃料、人間の尊厳といった事に関わる問題は何一つ解決していない。この政府によって、斬首と策謀、宗派を理由にした殺人が蔓延するようになった。
この政府の時代に、各地の宗派、民族を他とは決して協調させないような策が取られ、宗派間の軋轢は最高潮に達した。モースル近くのヤズィード派の2村で起きた爆破も、このような政策と無縁ではない。クルドは、1991年にアメリカがその地域上空を飛行禁止にして以来、その辺りの地区を併合しようとしていた。
マーリキーと彼の政府が沈没しそうになると、その協力者、特にホワイトハウスのアメリカ人の主人が急ぎ救援に来る。一方、アメリカはマーリキー派に警告を発し続けてきた。そこで彼らはバグダードに集まって、穏健派連合と称するものを作ったと宣言したのである。こうして、一夜にして、アブドゥルアジーズ・アル=ハキーム(イラク・シーア派最高評議会の長)、マーリキー、タラバーニー、バルザーニーそして、彼らの代表する宗派や民族が穏健派となり、それ以外は過激派になった。
彼らは人々をごまかそうとしている。特定宗派、民族の偏重もここに極まり、彼らの傘下に入らない集団は孤立させられる。彼らのどこが穏健派だ?(シーア派)最高評議会とバドル組織(評議会軍事部門)、イブラーヒーム・アル=ジャアファリーからヌーリ・アル=マーリキーにその長が代わったダアワ党、ジャラール・タラバーニーの部族主義的クルド政党、その不倶戴天の敵であったもう一つのクルド部族主義政党。彼らはいずれも、したい放題にしてその責任を他へ転嫁する過激派の顔役達ではないか?彼らはアラブの兄弟国でさえ犠牲にする。
今回の連合は、占領下で形成された最も危険なものである。彼らは、イラクでの米兵の犠牲が、そして年々増加しているらしい自殺率が減りさえすれば、アメリカの主人が反対しない、どころか自分達を支持するだろう事を知っている。
イラクの泥沼に漬かっているアメリカは、戦いには初めから負けていたというのに面目を保ちたがっている。中東の将来構想などという口実で、イスラエルを庇護し地域の覇権を維持させ、シリア、サウジ、レバノン、イランなど、アラブ・イスラム政権を抑止する目論見だったのが当てが外れた。
敗北し弱りきったアメリカが、今回の四者の背後にいたのかもしれない。現イラク国会で最大派閥を代表する彼らは、これまで常に合意してきて不和があった事はない。マーリキーをバックにつけたアブドゥルアジーズ・アル=ハキームは、中南部にシーア派地域を樹立するという野心に燃えている。バグダード市内の宗派引き離し工作、市街戦で各地区を転々としたのは、彼にとっては小手調べであった。住民のアイデンティティがはっきりしているバグダードでは、ある通りをそのすぐ隣と敵対させ、警官の服装をしたギャングに襲わせたりするのは簡単だっただろう。シーア派廟が瓦礫と化したサーマッラーの爆発でも、同じことが言える。なぜなら、この地域については、そこで数百年間その聖廟を守り、害を及ぼすことのなかったスンニー派住民ではなく、シーア派が覇権を握ることが求められていたので。このような事件が起きたタイミングを再考してみてはどうだろう?
アル=ハキームは、今回の連合を自分の権力域樹立の好機と見ているだろう。そのような場ができれば、後援者であるイランの指示に沿った政治を行える。イランが、彼にアメリカ側と協議する許可を出し、占領を奨励させたというのはよく知られている。
2人のクルド指導者は、キルクークを現在イラク・クルド自治地区と称されている所へ併合する事にさえ抵触しなければ、完全にアル=ハキームと同調している。引き換えに、シーア派自治区を作ってもよいというのである。ハキームはイラク人らしい振る舞いをせず、あたかもイラン人のようである。このように簡単に事が運んでよいものだろうか?我々は、占領に対し、また、このような分割主義的グループに対して戦いを続けてきたイラクの抵抗を忘れてはならない。
今回の合意の過ちは、宗派主義を受入れ、分割に向け協力し合っている点である。サドル派はこれを拒否している。17日、ロンドンのアラブ放送が伝えたところによれば、同派は、宗派によるポスト分配制度を廃しテクノクラート政府の形成を呼びかけている。非宗派的方向性のイヤード・アッラーウィーが率いる「合意」運動派も、このように危険な宗派主義の形成に関わることを拒否した。
要約すれば、これら全てが、石油を際限なく得るために、国連加盟国である主権国家を瓦礫にしようとしたアメリカの失敗に起因している。現在のイラク問題を解決するためとして米研究者が提示した策の一つが、三分割案であることを忘れてはならない。そうすると、穏健で過激な今回の連合は、一つはバルザーニー(クルド自治区大統領)の、もう一つはハキームの自治区宣言の端緒であろうか。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:11718 )