イスラエルの新任アンカラ大使ガビ・レヴィは、トルコ生まれで、トルコが「二番目ではなく、第一の祖国」であると述べた。
ベルガマからイスラエルに移住したトルコ出身のユダヤ人の子息であるレヴィ氏は、彼に「第二の故郷に行きますね」と祝福する人たちに、「トルコで生まれました。第一の祖国です」と語った。
4年間イスラエルのアンカラ大使として駐在したピンハス・アヴィヴィの後任とされたガビ・レヴィは、トルコに着任する前に熱いメッセージを伝えた。
トルコーイスラエル関係を発展させようと目論み、テル・アヴィヴに本部に置くインターネット・サイトの「イスラチュルク」に語った新任大使は、トルコに感情の上で大変結びつきを感じていると表現した。一家がトルコから移住した際に4歳であったレヴィ大使は、「トルコでユダヤ人がいかに容易に暮らしているかは周知のことである。だからほかのユダヤ人集団のねたみを受けたくらいだ」と語った。
一家がイスラエルに移住した際に、現在もトルコ出身のユダヤ人がたくさん暮らし、テル・アヴィヴにおよそ10キロほど離れたイェフドに落ち着いたレヴィ氏は、そこでの暮らしを次のようにまとめた。
「イェフドは、最初のトルコ出身者の中心的集落といえよう。最初の市長もトルコ出身者だった。暮らしの中で変わったことはなかった。ベルガマで何を食べていようと、そこでも同じものを調理していた…。ここの暮らしには、イェフドでのトルコ出身者社会の大半がもつ、イスタンブルの南にある諸々の町出身者の特色があるのだ。わたしたちの伝統、習慣は互いに近かった。信仰上の文化では総じてエーゲ地方のものが優勢であった。」
1948年ベルガマ生まれのレヴィ氏は、幼少の頃とても上手にトルコ語を話せ、イェフドの家々では幼い頃常にトルコ語のラジオ局が聞かれていたとし、「もっとも人気があったのはゼキ・ミュレン、それにミュゼッエン・セナルだった」と述べた。
レヴィ新大使は、1988年にイスタンブルに総領事としての着任が妥当とみられたが、トルコの国内法がトルコ国籍をもつ人物が外国を代表して職務遂行することを認めなかったため赴任が実現しなかったと語った。
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( 翻訳者:清水保尚 )
( 記事ID:12107 )