学生ら、テヘラン大学で集会を開く:アフマディーネジャード大統領の訪問のさなか
2007年10月09日付 E'temad-e Melli 紙
「われわれにも質問がある。なぜコロンビア大学でしか質問に答えようとしないのか」と書かれたプラカード
【社会部】昨日朝10時、第9政権のアフマディーネジャード大統領以下、閣僚数名、諸大学の学長たち、そして科学技術省の高官らがテヘラン大学を訪れた。それに伴い、警察の騒擾鎮圧部隊がテヘラン大学構内、そしてアッラーメ・アミーニー講堂に配備された。
テヘラン大学で行われた式典には、大統領以下、一部の選ばれた学生や大学教授、科学技術省高官らのみが出席する予定であったが、実際には別の「招かれざる客」が正式の式典とは異なったやり方で、アフマディーネジャード大統領を迎えた。
テヘラン大学の門は、大統領とその随行員らが大学に入構するまで締められた状態にあり、科学技術省の警備隊がその他のテヘランの諸大学の警備隊と協力して、入校を管理・制限していた。身分証明書及び学生証の提示が義務付けられ、治安警備隊は検査を行った上で大学生に入構許可を与えていた。もちろん、警備員らの判断によって、入構許可が簡単に取り消された学生らも多かった。彼らが大学周辺を往来することも禁止された。
このような入構制限は学生たちに対してだけではなく、新聞記者らに対しても課された。海外の記者や一部の国内の記者に対して、式典の様子を取材する許可は与えられなかった。政府に批判的な新聞に対しては、式典への招待状は式典一日前になっても送付されず、昨日の混乱に際しても、〔その様子を取材するために〕入構することはできなかった。
大統領の回答を聞くための集会
昨日、大学を囲む緑色の柵を見ることも困難なほど、警察や特別部隊の隊員らが大学の周りを取り囲んでいた。彼らは、この緑の柵の奥で、大学生バスィージ〔動員志願兵〕らを乗せたバスが到着した昨日朝10時頃に起きた出来事を目撃したにちがいない。イラン学生通信(ISNA)によると、「大学生活動家、大学生バスィージ、大学生イスラーム協会、独立イスラーム協会などが、大統領が演説を行っているホールの前で集会」を開いたのである。
大学構内に入ることのできたISNA記者は、この集会について次のように証言する。「(集会は)『小学校の友』の歌と共に始まった。その後テヘラン大学ならびにテヘラン医科大学の学生イスラーム協会の書記が、学生らの前に姿を現し、『われわれが今集まっているのは、
教授らに対する追放処分、及び大学自治の維持をめぐってである。われわれは学生をはじめとする多くの人に、この場に来ていただくようお願いする。われわれはどのグループとも衝突を起こしたり、彼らを誹謗したりするつもりはないからである』と声を上げた」。
学生イスラーム協会書記はさらに、次のように訴えた。「イスラーム協会は一連の質問に対する回答を求めるために、ここに集まることを決意した。われわれが意図しているのは、ことばによる問題の解決である。今日、大統領が本学を訪れている。われわれが抱いている多くの疑問に対して、大統領はきちんと答えるべきだ。人を煽ったりするような回答ではなく、コロンビア大学で大統領が答えたような〔冷静な〕回答を、われわれにもお願いしたい。なお誤解のないように申し上げれば、われわれはコロンビア大学の学長の振る舞いを認めているわけではない」。
このような中、一部の学生らは集会から離れ、〔大統領が演説を行っている〕アッラーメ・アミーニー講堂の正門へ向けて移動した。彼らは「小学校の友」を歌い、手に手を取り合い、「‥‥を解放せよ」と書かれたプラカードを手に持ち、「
投獄された学生らを釈放すべきだ」、「学生は死につつある、これ以上の屈辱は受け入れられない」などとシュプレヒコールを上げながら、アッラーメ・アミーニー講堂に向かった。
ISNAは次のように報じている。「その後大学生バスィージのメンバー及びその支持者の学生らと、イスラーム協会のメンバー及びその支持者らが対峙し、さまざまなシュプレヒコールを相手方に投げかけた。互いに対して極めて辛辣な内容を含むシュプレヒコールの応酬は、両グループ間の簡単な小競り合いへと発展したが、他の学生たちが中に入ったことで、間もなく収束した」。
〔後略〕
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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:12121 )