Ilhan Selcuk コラム:トルコ人の半分は馬鹿ではない
2007年10月14日付 Cumhuriyet 紙

「祖国」という概念 は昔、世界にも西洋にも我々にもなかった。
オスマンの「領土」の終わりをもたらしたのは1789年革命で出てきた「祖国」と「国民」の概念の意識化だった。
問題は何だったのか?
アナトリア半島はオスマンの領土だったが、誰の祖国になるのだったか?
ルーム人(トルコのギリシャ系住民)のか?
アルメニア人のか?
トルコ人のか?
クルド人はあの頃事態に介入できる意識がなかった。
戦争…戦争…戦争・・・
バルカン戦争…
第一次世界大戦…
国民解放戦争…
トルコ共和国の国境は一連の戦争によって定められた。
*
国境が定められるときに無論好ましいことばかりではなかった。
アルメニア人の強制移住…
ギリシャ系住民の交換…
等々…
20世紀の初めの四半期においてローザンヌ条約で国際的なコンセンサスが得られた。
しかし、今日の情勢を見ると21世紀の初めの10年において巷が混乱しているように見える。
ルーム人(ギリシャ系住民)たちやギリシャ人たちやアルメニア人たちや外部のクルド人たちがそのディアスポラと共にトルコ共和国に対して戦の旗を振っている。
では、ヨーロッパはどこに立っているのか
アメリカ合衆国が何をしているのか
*
トルコ人たちに対する共同の総動員の印が各地で現れている。
アメリカ合衆国の態度がその中でも顕著ではっきり見えている。
我々の「戦略的同盟国」であるはずの国が一方でクルド労働者党のテロを支援している。
もう一方で100年前のいわゆるアルメニア人ジェノサイドを今日的な課題にするために動き出している。
解釈は必要だろうか。
ソビエト連邦が崩壊してから政治的地図において試行錯誤の時代が始まった。一部の国家が歴史となり、新たな国家が現れた。
順番はトルコに回ってきたというのか?
*
そうだ、アメリカ合衆国はあからさまにPKK(クルド労働者党)を支持している。
いいことではないか。
PKK(クルド労働者党)の攻撃が集中するにつれてトルコ人も無関心の眠りから覚めはじめたのだ。
我々を宗教主義・イスラム主義のアヘンで眠らせようと心掛けるアメリカの望みは叶わない。
ルーム人(ギリシャ系住民)たちやギリシャ人たちやアルメニア人たちやそのディアスポラやPKK(クルド労働者党)の党員たちやその国内の知的支持者たちからなる広範囲の戦線が繰り広げる攻撃は大失敗となるのが必至てある。
*
公正発展党(AKP)は、創立の当初から政権を得るまでアメリカ合衆国の大中東構想の産物であった。
しかし、イスラム主義・宗教主義のアヘンで罠にはめられようとしたトルコ人たちは目が覚めはじめたのだ。
「トルコ人たち」と私が言う。
言いたいのはトルコ主義ではない。
民族主義ではない。
純粋の観察だ。
アメリカ合衆国の大中東構想に対してトルコ人たちがやっと目が覚めたということは重要な現象である。
風刺作家アズィズ・ネスィンの先見によれば「トルコ人たちの半分は馬鹿である」。
どういう意味だろうか?
「トルコ人たちの半分は馬鹿ではない」という意味である。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら
現地の新聞はこちら(PDF形式)

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:12163 )