Fehmi Koru コラム:トルコを「テロ自由地域」にしてはならない
2007年10月18日付 Yeni Safak 紙

国家は今日の世界でテロに対して以前よりもよりぜい弱な状態にある;どれほど強力であっても、今日どの国であれテロによって導くことは可能だ。テロもこの方向で性質を変えたように見える;昔のテロとは違って、ある地域的な目的を実現させることよりも、国家の態度を改めさせるためにテロという手段に訴えられている。このことから生じる結果は明白だ;「テロ組織」と呼ばれる組織は、少なくともその大半が国際的な目論見の実現の道具となっている状態である。

トルコが今日直面してるテロも、この観点から考えてみる必要がある。クルド労働者党(PKK)は(もはや)過去に我々が慣れ親しんだやり方で活動をしていない。彼らの行動はより軍事的な目標に対するものだ;多くの人の命を奪うことを目的としている。このようにして徴兵制が「義務である」我が国において、20歳前後の若者を殺しているPKKは、国中に爆弾を落としている。我が国で最も強力な組織であるトルコ軍をテロ活動によって扇動するというおまけつきだ。

これらのこと全てが緻密な計算に依っているということを、恐らく我々の誰もが分かっている。つい最近のテロ活動からも、1つの緻密な計算がまた伝わってくる;トルコのトップがアメリカ議会において「アルメニア法案」に悩まされることも、テロで国を揺さぶろうとしている者たちはすっかりお見通しである... 「殉職者の葬儀」が増えた時、国中が浮き足立ち、政府が他の問題に目をやることができなくなることもまた彼らが知っていることは明らかだ。賢く、自覚的で、自分達が何をやっているか分かっているテロと言うことができる。

テロが賢く自覚的であることが分かっているのなら、この種のテロに対する対策も同じだけの知恵や自覚を持って行われなければならないことを我々は認識する必要がある。テロ活動によって国を困難な状態に陥れることを目的としているテロリストやその支持者は、これを、決定機構にいる人々の目をくらませながら成功させようとしている。今日の世界でテロは、テロ対策がうまくいくかどうかということを自ら映し出す鏡でもある。

PKKのテロをこうした観点から見るなら、その核心により容易に触れることができる。PKKのテロは、今日、トルコを国際的な舞台で特定の態度をとるよう仕向けることを目的としている。テロ対策はテロリストを孤立させることで成功するのではないか?しかし実際はテロ対策の準備に入っている者たちは、戦線を拡大する方策に従っている;イラクの北で巣食っている少数のテロリストを根絶する道は、恐らく、北イラク全てを対象とする軍事作戦であるはずがない。

昨日議会で承認された「(対PKK攻撃)決議」は危険も内包している。決議を承認した議会はこれにより、テロ対策の道程において他の国への軍事干渉の決定を下す権限を政府に認めたことになる。政府はこの権限を行使して、1年以内に好きなときにトルコ軍をイラクに送ることができる。

それでは政府は、自身に与えられたこの権限を行使し、北部でのPKKの基地を壊滅させるためにイラクに軍隊を派遣すべきなのだろうか?

この文章をここまで読んできた人は、この問いにどう答えるべきかもご存知であるはずだ。

正しい態度は、テロとの戦いにおいて毅然とした態度で決して弱い面を見せずにPKKを孤立させ、その後も壊滅を目的とした方策を継続することである。このためにとらなければならない賢明な方策は、トルコが(中東)地域において、そして世界において自身を孤立させない態度を身に付けることである。トルコはアメリカがイラクにおいて経験したことから最もよい教訓を引き出せる国である。

さもなければ、この頃「PKKのテロ」という名のお化けと向き合っているに過ぎないトルコは、誤った足取りでテロ自由地域になってしまう可能性がある。

テロを行おうとする者たちの知恵と、テロ対策をする者の知恵がぶつかったとき、勝つのがテロリストであってはならない。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12204 )