マスィーフ・モハージェリー師、迷信の拡大に警告
2007年10月25日付 E'temad-e Melli 紙
【ISNA】「イマーム・ホメイニーの見解・思想を研究する会」の第7回会合が、「イマーム・ホメイニーの思想と迷信崇拝との闘いについての研究」をテーマに、テヘラン医学部大学ジハード文化局で開かれた。この会合で、ジョムフーリーイェ・エスラーミー紙〔強硬保守派の代表紙〕の発行責任者でホッジャトルエスラーム・ヴァル・モスレミーン〔アーヤトッラーのワンランク下の宗教指導者に与えられる尊称〕のマスィーフ・モハージェリー師は、《迷信》という言葉の概念を定義した上で、「歴史的視点から見るならば、迷信は革命以前にも存在したし、革命後にも、宗教と関係した何物かとして、存在しつづけている」と指摘した。
同師は、迷信を否定するクルアーンの節に触れた上で、「クルアーンは、神には子供がいるかのように言う者どもに対して、死を宣告し、このような話には根拠がないと言っている」と述べた〔※〕。
同師はさらに、敬虔とは迷信崇拝とは異なるとした上で、「イマームはつねに、善良な先生や指導者につくことなく、エルファーン(イスラーム神秘主義)の領域に足を踏み入れてはならない、なぜならば道を誤る可能性があるからだ、と警告されていた」と指摘する。
モハージェリー師はまた、今日のわれわれの世界を悩ませている第二の迷信として、《時のイマーム》が今再臨しているかのように信じてしまう問題を指摘した上で、次のように語る。「今の国家が、《時のイマーム》が統治する国家である、あるいは《時のイマーム》は今まさに再臨しているなどと主張する輩は、つねに存在する。この問題は、サファヴィー朝時代にその先例をさかのぼることができる」。
同師はさらに次のように加える。「イマーム〔・ホメイニー〕は存命中この問題について、『たとえ1万年後《時のイマーム》が現れることになったとしても、われわれはこれ[時のイマームが現れる時期]について語るべきではない、その時になっても《時のイマーム》が現れないこともありうるのだから』、と仰っていた。《時のイマーム》の再臨について、『誰かがその時期が来たと信じているようなら、それは誤りであると言って否定してあげなさい』、とする伝承もある。サファヴィー朝時代、《時のイマーム》の再臨についての議論が高まったことがあったが、そのためにサファヴィー朝が滅んだ後、《時のイマーム》に対する信仰から離れていった人々もいたのである」。
モハージェリー師はさらに、迷信は危険であり、時に国の指導者たちですら迷信の影響を受けていることがあると強調した上で、「現在、今後2年以内に《時のイマーム》が再臨する、われわれはそれに備えなければならない、などとと公然と論じている者たちがいる。このような者たちに対しては、司法機関による取り締まりも行われており、この件では現在150名以上が、《宗教指導者特別法廷》によって拘束され、獄中で暮らしている」と語った。
〔後略〕
※訳注:クルアーン第6章「家畜」100〜101節には、次のような記述がある。
100:それなのに、彼らは、アッラーとならべていろいろな妖霊(ジン)を崇拝している。あれは、もともとアッラーの創り給うたものなのに。そればかりか、なにも知りもしないで、アッラーに息子や娘があるようなことを言ったりする。ああ勿体ない。(アッラー)は彼らが言っているようなものを高く高く超え給う。
101:かしこくも天と地の創造主にましますぞ。妻もないのにどうして息子があり得よう。一切は(アッラー)の創り給うたもの。その上、何から何まで全部御存知。(井筒俊彦訳『コーラン』上、p.189.)
また、「家畜」144節には次のような記述もある。
144:次に駱駝が二組、牛が二組。言ってやるがよい、「牡が二匹禁忌なのか、それとも牝が二匹なのか。それともまた牝二匹の胎内にあるものがそうなのか。いったいお前たち、アッラーがそのようなことを命令なさるところに居合わせたのか。アッラー曰くと称していいかげんなでたらめを言い、何も知りもしないくせに人々を迷わそうとかかる。それほど性(たち)が悪い者はない。まことにアッラーは、不義の徒など絶対に導いては下さらぬ。」(上掲書、pp.197-198.)
この章句は、イスラーム以前のアラビア半島で信じられていたさまざまな「迷信」を非難したものであるとされる。
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:12282 )