詩人のゲイサル・アミーンプール氏、死去
2007年10月31日付 Iran 紙


【文芸部】詩人でテヘラン大学文学部教授のゲイサル・アミーンプール博士が、入院先の病院で心臓病により天に召された。

 イラン現代詩に起こったこの損失を受け、アミーンプール博士を愛する多くの人々が火曜日の朝から病院の前に集まった。集まった人々の中には、文化人やイラン文学を専門とする学者たち、詩人や文学者らもいた。

 アミーンプール氏の博士課程時代の恩師であるモハンマド・レザー・シャフィーイー=キャドキャニー博士も、悲嘆に暮れて集まった人々の中とともに、この偉大なる詩人の死を悼んだ。

 本紙記者の報告では、病院の前に集まった群集はさらに大きくなり、詩人や愛好者らはテヘランのシャヒード・コラーフドゥーズ通りにある「イラン詩人の館」に誘導された。

〔中略〕

アミーンプールと詩の生涯

 詩人、文学者でペルシア語研究者のアミーンプール氏は1338年オルディベヘシュト月2日〔1959年4月23日〕、フーゼスターン州ギャトヴァンドに生まれた。彼は1357年〔1978年〕に在籍していたテヘラン大学獣医学科を中退し、同年、セイエド・ハサン・ホセイニー氏、サルマーン・ヘラーティー氏、モフセン・マフマルバーフ氏、ホサーモッディーン・サッラージ氏、モハンマド・アリー・モハンマディー氏、ユーソフアリー・ミールシャッカーク氏、ホセイン・ホスロー・ジャルディー氏らとともに、芸術とイスラーム思想に関するサークルを結成した。芸術の分野で新鋭の若手らが結成に名を連ねたこの集団には、後にソヘイル・マフムーディー氏、サーエド・バーゲリー氏、モハンマド・レザー・アブドル・マレキヤーン氏、アブドル・ジャッバール・カーカーイー氏、ファーテメ・ラーケイー氏、アリーレザー・ガズヴェ氏も加わっている。

 アミーンプール氏は1363年〔1984年〕、テヘラン大学社会科学科に在籍していた。しかしこの学科も、彼が求めていたに応えるものではなかった。彼はこの学科も中退し、ペルシア文学科に進んだ。1376年〔1997年〕にはこの学科でシャフィーイー=キャドキャニー博士の指導の下、博士号を取得した。1367年から70年〔1988年から91年〕まで、アッザフラー大学で教鞭をとり、1370年から死を迎えるまでテヘラン大学の教官を務めた。

 アミーンプール氏のその他の文化・芸術活動としては、以下のものが挙げられよう。彼は1360年から1371年〔1981年から1992年〕まで週刊誌「ソルーシュ」の詩担当編集員を務めた。67年から83年まで〔1988年から2004年まで〕文学・芸術専門の月刊誌「青年ソルーシュ」の編集理事会の委員を務めた。彼はまた、ペルシア語・ペルシア文学アカデミー(ファルハンゲスターン)常任委員でもあった。

 彼は、「十日目の正午」の作品で思想教育協会から「本の祭典」賞を受賞、「つばめのことば」でも同賞を受賞、その他の作品に「朝の息吹」、「太陽の小道」、「十日目の詩」、「括弧の中の嵐」、「翼を持たずに飛ぶ」、「花はすべて向日葵」、「不意の鏡」、「現代詩における伝統と革新」、「愛の文法」などがある。ゲイサル・アミーンプール氏は1378年〔1999年〕にも、「聖なる防衛」〔=イラン・イラク戦争のこと〕特別詩人に選ばれている。

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( 翻訳者:尾曲李香 )
( 記事ID:12327 )