Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(上)―私達は勉強がしたい!―
2007年11月03日付 Milliyet 紙

(ヴァン県)バフチェサライの、寄宿制初等教育地域学校(YIBO)の校庭で、今年最終学年となった女子生徒たちが泣いた。私も耐えられず泣いた。子ども達よりももっと泣いた。本紙の「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの重要性や価値を、そのとき私はより一層理解した。
なぜ私が泣いたのかは本文の最後にとっておくとして、バフチェサライについて説明しよう。
バフチェサライには多くの人は行ったことがないはずだが、名前は聞いたことがあるはずだ。名前に騙されて「バフチェ(=庭)」と「サライ(=宮殿)」の単語が誤解を招かないように。険しい裸の山々の間に挟まれたバフチェサライにはバフチェもサライもない!ここは8カ月間道が雪で閉ざされ、外の世界から孤立することでよく知られている小さな集落だ。長年村だったがのちに郡(庁所在地)となった。
ナジ・オルハン町長は次のように言う:「我々は1年の10カ月は神に、2カ月はヴァンに属していた。公正発展党(AKP)のおかげで今は1つは夏用の、1つは冬用の2つの道路がある。夏用の道が(あと)8キロ作られれれば道の問題はなくなる。雪のせいで何カ月も世界と断絶しなくなるだろう」。

■定員100人の女子寮

バフチェサライへは、本紙の「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの一環で、エトヘム、ハイダル・サンジャク兄弟がこの地方で育ち商業に従事した叔父のイスマイル・サンジャクを記念して建てさせた女子寮の開館式のために赴いた。100人の生徒を収容する寮はピカピカの、近代的な建物だ。
本紙のこのキャンペーンの生みの親であり旗振り役でもあるハンザーデ・ドアン・ボイネルとセダト・エルギン総発行人の招待を受けた、国民教育相でヴァン選出の国会議員であるヒュセイン・チェリキもまたバフチェサライにいた。以前は(隣接する)スィイルト県のペルヴァリ郡の一村であったバフチェサライは、今はヴァン県に属する。この前の総選挙で、1970年生まれでアンカラ大学言語歴史地理学部考古学科を卒業したギュルシェン・オルハンという名前の、バフチェサライで生まれ育ちここに居住する女性が、AKPの候補者リストからヴァン選出の国会議員となった。
バフチェサライの人口は3,500人、(同郡に属する)村々を合わせると7,000人ほどである。チェリキ国民教育相は、「サンジャック一家の建てさせた100床の寄宿施設付の女子寮は地域の子ども達にとってとても重要なものだ。だがこの素晴らしい寄付のことを(記事に)書くのなら、国が行ってきたことも書いてくださいよ」と言う。

■国も建ててはいるが...

バフチェサライで「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの一環で建てられた寮の開館式ののち、大臣は、国が建てたYIBOもオープンさせた。ご覧にならなければこの学校のキャンパスの大きさと素晴らしさはお分かりにならないだろう。「大学のキャンパスほどある大きな敷地の中に4階建ての、16の教室のある校舎や、校庭にある男女別の480床のベッドを備える寮、多目的スポーツ・文化サロン棟、食堂棟、さらに10軒の教員住宅」がある。
それだけではない... 続いて就学前教育を行うために建てられた幼稚園の開園式が行われた。高校は元の小学校の建物で授業を行っている。新しい高校の建物の建設は遅れたようだ。開所式は行われなかった。
バフチェサライの町には5つの小学校があり、その内の2つはYIBO、1つは遠隔地に住む生徒の送迎を行う学校だ。それに高校が1つある。村々には30の建物に56の教室と31の教員住宅が入っている。(村より小さな)農耕集落には5つのプレハブの建物が建てられた。読者の皆さん、私の得た情報によると、郡内(郡庁所在地と周辺の村々)では男子2,702人、女子1,698人の合わせて4,400人の生徒が学校に通っている。この数を人口と比較してみてほしい。人口の半数以上が学生であることがお分かりになるだろう。

■少女達は学校へ行きたがっている

国がどれだけ建てようとも学校や寮の数は足りない。本紙の「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの一環で、今日までに開設された20の寮と建設中の4つの寮はこの意味で重要だ。
さてここで「涙のわけの部」に移ろうか... そして「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの「学生寮プログラム」以外の重要な取り組みに... バフチェサライのYIBOの前で子ども達とおしゃべりをしていた。そばには、バフチェサライ育ちの国会議員であるギュルシェン・オルハンがいた。少女たちは「ギュルシェン姉さん... ギュルシェン姉さん」と言って彼女の周りに輪を作った... 私は(子ども達に)「君達もギュルシェン姉さんのように勉強して国会議員になりたいか?」と尋ねた。尋ねなければよかったのだが... 子ども達はあれこれ説明し始めた:「私達を家族は勉強させたくないのに(無理だよ)... 私達は勉強がしたい... (家族は)『8年生が終わったら学校は終わり。もう十分だ!』と言ってる... 私達は勉強がしたいのに...」こんなことを言っている子ども達の訴えを聞いて「泣かずにいられようか?」
皆さんも子ども達の訴えの重みを理解してほしい。どうかあなた方も「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンにどのような形であれ貢献していただきたい。


Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(中)
Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(下)
バフチェサライ郡庁ホームページ(トルコ語・街の写真あり)

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バフチェサライについて(ウィキペディアトルコ語版・地図あり)

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12402 )