Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(中)―女性国会議員誕生―
2007年11月05日付 Milliyet 紙

ギュルシェン・オルハンと知り合った。37歳のギュルシェン・オルハンは、バフチェサライで生まれ育った1人の若い女性だ。男の子1人の母親でもある。この前の選挙で、ヴァン県の公正発展党(AKP)の候補者リストから国会議員に選ばれた。
ほら、俗に「小説のような人生」と言うでしょう... まさにその通り... ギュルシェン・オルハンの人生は小説のようだ...
父親のナジ・オルハンは、バフチェサライの元の村長で、今は町長だ。(ギュルシェンは)AKP時代になって冬用と夏用の道が作られる前、1年のうちの8~10カ月が雪のため外部から遮断されていたこの小さな集落で1970年に生まれた。(彼女以外に)女2人、男4人の6人のきょうだいがいる。
中学校ではギュルシェン・オルハンはクラスで唯一の女子生徒だった。父親のナジ・オルハンは、周りの人々の批判を意に介せず、ギュルシェンだけでなく他の姉妹も学ばせた。3人の娘とも小学校・中学校をバフチェサライで、高校をヴァンで終えた。4人の兄弟は大学教育も受けた。

■東アナトリアではいいことも起こっている

ギュルシェン・オルハンは、高校を終えたのち親戚筋の建築技師と結婚した。ミルハサンという名の息子がいる。夫を交通事故で亡くした。この不運な出来事ののち、息子に教育を受けさせるためにアンカラへ行った。息子を学校へ通わせる一方で、家に閉じこもらないために大学の入学試験を受け、アンカラ大学言語歴史地理学部の考古学科に合格。4年後に大学の学位を得た...
ギュルシェン・オルハンの父ナジ・オルハンはとても多彩な人物だ。詩を書き(http://www.antoloji.com で読むことができる)、物語を読み聞かせる... この多彩なパーソナリティにより政治家や民間の要職にある人々とも親交がある... 他党の党首や歴代の首相同様、タイイプ・エルドアンも彼と面識があり、好んでいる。
前回の国会議員選挙でナジ・オルハンは、タイイプ・エルドアンに近い人々に「私はもう年を取った。ちょっとアンカラにも行きたい。タイイプさん私をヴァンから候補者リストに載せてくれ」と言うつもりだったらしい... おやおや、あなただったのかこう言うつもりだったのは... 「もう時代は変わった... 年寄りには用はない... 娘がいるのになんであなたが出てくるのか... 娘を候補者にしなさい」と言われたらしい。そしてこのようにして、ギュルシェン・オルハンは選挙でAKPのヴァン県の候補者リストの6番目に載った。そして国会議員に選ばれた。

■少女達はギュルシェン・オルハンをお手本にしている

本紙の「お父さん、私を学校へ行かせて」キャンペーンの一環で実業家のエトヘム、ハイダル・サンジャク兄弟がバフチェサライに建てさせた寮の開館式でのギュルシェンの演説に私は感じ入った。即興ながら、きちんと整ったトルコ語で教育と女子が学ぶことの重要性を説いた。「私達は1人では全てのことを変えることはできない。でも私達の1人1人が1つのことを変えるなら、多くのことが変わる」と訴えた。
(続いて)バフチェサライのような地域で、教育を途中で放棄した女の子や女性のための中学校と高校レベルの通信教育の必要性とその重要性、効用について説いた。928郡で、そしてバフチェサライで人民教育局の通信教育プログラムが始まったことをバフチェサライの人々に知らせた。
ギュルシェン・オルハンと会い、知り合ってから、「私の気分は高揚した」... ギュルシェン・オルハンはその地域の希望のない少女達の希望となった。今、彼女らも「私達も学校に行きたい。ギュルシェン姉さんのようになりたい」と言っている。ギュルシェン・オルハンの人生の物語は大切だが、彼女がAKPのリストから国会議員としてトルコ大国民議会に登壇したことはもっと大切だ。女性国会議員としてどんな活動をするのか見守っておこう。


Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(下)
Gungor Uras ルポ:東アナトリアの寒村から(上)

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12403 )