Murat Yetkin コラム:ヨーロッパの不安、ファズル・サイの不安
2007年12月16日付 Radikal 紙

先立って、EUの加盟国で我が国の北大西洋条約機構(NATO)の同盟国であるある国からやって来た参謀将校候補生にトルコの内政・外政の最新状況を説明せよとの申し出を頂いた。60人ほどの将校は、トルコ、ロシア、アメリカで意見交換を行い、知見を得るための旅行の途上にあった。このような情報収集旅行の行き先にアメリカやロシアと並んでトルコが選ばれたことだけでも興味深かった。私は申し出を受諾した。
この種の会合は新聞記者の仕事という観点から見れば情報を与えるというよりも、むしろ情報を得る会合に変わる可能性がある。割り当てられた時間の中で自分が話す時間を短くし、多くの時間を質疑応答に費やせばそれで十分である。挙がった問いは、聞き手のグループの関心領域をまるで鏡のように映し出し、得ようとしても得られない情報や印象に短時間で到達させてくれる。

今回もそのような会合となった。あるホテルの会議場で開かれた会合で、短い状況説明の要約の後に質疑の時間に移ると、次のような状況が生まれた:まず(話をした)その時点で今より一層議論の争点となっていたイラク-クルド労働者党(PKK)-アメリカに関する多くの質問の後、手を挙げた将校たちの大半の質問はトルコのヨーロッパとの厳しい関係を背景とする同じ問題に集中し始めた。プレゼンテーションで私が詳細に立ち入らなかったことが、(質問という形で)将校たちがどの問題について情報や詳細を得る必要があるかを明らかにすることとなった。
場の状況がもはやそれほど明らかとなったため、質問セッションも終わりに差し掛かる頃、代表団のトップである年長の将校が口を開き、「すみません」と言って次のように続けた:「もしかしたら同じ問題について我々がこれほど多くの質問をしたことがあなたの気分を害しているかもしれない。しかし、ここしばらくの間、ヨーロッパのある一部分は深刻な懸念を抱き、そればかりかパラノイア状態にある(そう、パラノイアという言葉を使った(筆者注))。世界でのイスラーム的潮流の伸長、イスラーム主義の伸張(ふたつの概念に別々の意味を持たせて発言していた(筆者注))が、我々を不安に陥れている。あなたの話もまた示しているように、トルコはイランでもマレーシアでもサウジアラビアでもない。これは世俗的システムや民主主義のおかげである。公正発展党(AKP)もまた、イスラーム世界の別の政権党や、トルコで同じ基盤に依拠した以前の政権党の例とは異なっており、有権者の支持により政権に就いたと考えている。それでも我々はイスラーム的生活様式がヨーロッパの自由主義的生活態度を脅かすのではないかと恐れている。このことからあなたに「影の協議事項」について尋ねているのだ」。
将校の話に出てきた「ここしばらくの間」という言葉もまた、広い意味で2001年9月11日のアルカイダによる攻撃の後の状況を指し示している。もちろん質問は「影の協議事項」に留まらなかった。最近トルコでキリスト教徒を標的とする殺人が増えているということから、イスラーム風スカーフで具現化されているイスラーム的生活様式が社会的な圧力に変わるのか否か、またこのことがEU加盟国になることを望んでいるトルコの世俗的性質を変えるのか否かに至るまで、質問は細かい事柄に及んだ。ここでは、タイイプ・エルドアン首相が「我々の世俗主義の理解」という定型文で始まる文句やアブドゥッラー・ギュルの、最新ではファズル・サイの例で我々が目撃した、幅広く包み込もうと努めるアプローチがあまり効果的ではないと言うことができる。政治で重要なのは受け止められた真実味である。

この話に登場する国とはデンマークであり、将校たちもデンマークの王立軍事アカデミーのメンバーである。3年前の預言者ムハンマド風刺画事件で全イスラーム世界の反発を招き、PKKの報道組織であるロジTVが原因でトルコで別の反発の的となっているデンマークである。(というのもこの件で代表団がトルコでの日程を通じてかなり肩身の狭い時間を過ごしたこと、特に参謀本部のテロ対策研究拠点センターでの講演会において、精神的な意味で大きな打撃を被ったことを私は知った(筆者注))。デンマークは、フランスのニコラ・サルコジ大統領がEUレベルで始めさせたトルコ排除キャンペーンにおいて、表立った形ではないもののサルコジ側についている国の1つである。オランダやオーストリアのような国々で近年徐々に高まっているトルコアレルギーは、別のヨーロッパ諸国に広まっている。トルコでAKP政権の力が強まった7月22日選挙(=今年の総選挙)の後、ヨーロッパとアメリカの一部の報道機関が半ば冗談、半ば真剣に報じた「近々トルコでは世俗的な少数派の権利に言及され始める」という表現は、つまり全くの虚言であった訳ではない。故フラント・ディンクが、トルコを去るつもりだと話した時、私は「どこに行くんだね?ここは君の国だ」と言って電話をした人間の1人であり、殺された日にこう言ったことの後悔を心の中で感じていた。息子のアラトは耐えられず国を出て行き、今はヨーロッパの中心であるベルギーにいる。我々の誇りの源であるオルハン・パムクは、攻撃に耐えられず、事実上アメリカで暮らしている。

同時代の最も優秀なピアニストの1人であるファズル・サイは、「我々(世俗派は)少数派となってしまった」という悲痛な叫びとともに、国外に出ていくという話をしている。ファズル・サイは芸術家である。感情的に行動するかもしれないし、そのようにして当然である。しかし彼の発言を感情的なものだと言い、しまいには「芸術家は本分にだけ目を向けていればよい」「出て行ってもあまり悲しまない」などと言って些末なものと見なそうとすることや、関心を向けなかったり黙らせようとすることは、国にとって、また国を動かす人々にとって何の得や名声ももたらさない。芸術家は、(社会の向かっている)方向を指し示すロケット花火のような存在である。世間にこれほど大きな不安があるのなら、真剣に受け止めなければならない。

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トルコ人著名ピアニストのファズル・サイさん、「トルコを去るかもしれない」(2007年12月14日付 Milliyet紙)

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12691 )