ディンク暗殺事件、各地で事件への抗議活動
2007年01月21日付 Hurriyet 紙

アゴス新聞の編集主幹フラント・ディンク氏が殺害されたことを受け、トルコ各地ではデモ行進や抗議運動が相次いでいる。

トラブゾン:
中央広場で行われた抗議運動には、共和人民党(CHP)、民主左派党(DSP)、自由団結党(ODP)、労働党(EMEP)、近代生活支援連合、新聞報道協会、アタテュルク主義連合、人民の家、公務員組合連盟(KESK)などに属する組合の代表者と一般の人々が参加した。

公務員組合連盟の担当スポークスマンであるレジェプ・ギュライ氏は「トルコを中東の混乱に引きずり込もうとしているアメリカやその同盟国は、「大中東圏構想」の一環で毎日のように何十人というイラク人、パレスチナ人、アフガニスタン人をどす黒い悪意を持った暗殺の犠牲にしている。その一方で、フラント・ディンク氏やともすれば明日には別の誰かを殺害し、我々をもこの泥沼状態に引きずり込もうとしている。銃の引き金を引いたのが誰であろうと、そう仕向けた人々はみな同じ立場である」と話した。ディンク氏の写真やさまざまなプラカードを手に運動に参加した人々は、殺害に強く抗議するスローガンを唱えた。群集はしばらくのちに静かに解散した。

トゥンジェリ:
500人の抗議者の中には市長である民主市民党(DTP)のソンギュル・エロル・アブディル氏も加わっていた。市役所前に集まると、雪の降りしきる中を500メートル先にある地下商店街までデモ行進し、ときおり「我々はみなアルメニア人である」「我々はみなディンクである」というスローガンを唱えた。

フラント・ディンク氏はトルコの平和にとって象徴的な存在であったと話すアブディル市長は、「トルコに暮らす私たちは、あなたを守れなかった。私たちトルコ人、クルド人、アルメニア人、ギリシャ人、ラズ人、ジプシー、すなわちトルコを愛する全ての同胞は、あなたを守ることができなかった。だから私たちはあなたを殺害した人物本人以上に、むしろ自分たちを責めているのです」と語った。

アダナ:
およそ350人の市民社会団体の会員たちがイノニュ公園に集まり、事件に関する記事を載せた新聞やディンク氏のポスターなどを掲げながら、1993年1月24日に暗殺の犠牲となった新聞記者ウウル・ムムジュ氏の名前をとった広場まで行進した。

アルトヴィン:
ヒュッリイェト通りに昼ごろ集まったODP、社会民主人民党(SHP)、CHP、アルトヴィン弁護士連盟、78年基金、トルコ林業協同センター連盟、トルコ革命労働組合連盟(DISK)、トルコ総合労働組合、KESK支部公約、アルトヴィン人民の家、アルトヴィン青少年連盟などの団体に所属する約80人のグループがスローガンを掲げてデモ行進した。

エスキシェヒル:
ポルスク大通りのミグロス・スーパーマーケットのアダラル店前に集まった人権協会、ODP、社会主義民主党(SDP) 、労働党などから約200人が「我々はみなフラントだ。みなアルメニア人だ」「ファシズムに対して力を合わせよう」「民衆の友情、万歳」などのスローガンを唱えた。

カルス:
公務員連合に所属する組合代表者たちや、DTPのカルス支部、カフカス大学学生協同組合の組合員など、およそ300人の団体がファイクベイ通りの映画館前に集まり抗議した。

メルスィン:
チャンカヤ地区で「フラントよ、私たちを許してくれ。無実のハトは撃たれることなどないと思っていた」という標語を掲げながらデモ行進を行った群衆がさまざまなスローガンを唱えた。

マラトゥヤ:
ディンク氏の生まれ故郷であるマラトゥヤ・ソイカン公園に集まった約250人の人々はスローガンを唱え、悲惨な殺人がなによりもまず解決されることを望んだ。マラトゥヤ新聞報道協会による発表では「同郷の記者であるフラント・ディンク氏への攻撃は、マスメディア全体に対する攻撃であると捉え、激しく非難する。フラント・ディンク氏の冥福を祈り、親近者へお悔やみを述べたい」と述べられた。

アルダハン:
ディンク氏の殺害に関する記事を載せた内外新聞の一面が、読者によって車に貼り付けられた。

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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:4412 )