ディンクに哀悼の意を表す人波
2007年01月22日付 Zaman 紙

金曜日(19日)に銃殺されたフラント・ディンク氏のバクルキョイの自宅への追悼訪問者は後を絶たない。ザマン新聞の記者エトゥイェン・マフチュプヤン氏、イェニ・シャファク新聞の記者アリ・バイラムオール氏、『父と私生児』という題の小説で、刑法第301条をもとに裁判にかけられた作家のエリフ・シャファク氏と彼女の夫であるレフェランス新聞総発行人のエユプ・ジャン氏が、ディンク氏の家族と痛みを分かち合った。

追悼訪問者のためのホールのショーウインドーにトルコとアルメニアの国旗が掲げられていたことは、興味深いことだった。追悼訪問の後に記者会見を行った歌手のアドナン・シェンセス氏は、遺族が「私たちは少数派なのです。(でも)保護してもらえません。我々を保護下に入れるべきです。我々がトルコ国民であるということを(あなた方は)認識する必要があります。」と、非難したことを述べた。総発行人を務めたアゴス新聞社のシシュリの本社にも、追悼訪問者が後を絶たない。トルコ・アルメニア教会公主教メスロブ2世も、アゴス新聞社を訪れ、アゴス新聞のセルキス・セロクヤン社長を含む新聞社の職員たちに哀悼の意を表した。記者に対して会見を行わなかったメスロブ2世の訪問は15分間だった。ディンク氏が撃たれた後に倒れた場所とその2メートル先にあるセバット・アパートの入口に、紅白のカーネーションとバラを供えた人々は、暗殺に抗議するために、時々手を叩きながら「我々はフラントの仲間だ!我々はアルメニア人の仲間だ!」「万歳!国民の友好のシンボルよ!」などのスローガンを掲げていた。アパートの側のミュージックショプでは、金曜からずっと「ブロンドの花嫁」という民謡と、世界的に有名なアルメニア人歌手ディジュバル・ガスパリャン氏の歌が流れていた。人々は、アパートの前にある追悼ノートにディンク氏への想いを書いていた。

一方で、午前中にアゴス新聞社に追悼訪問に来たドイツの国会議員ノーマン・パエック氏は、記者会見で「この暗殺は、一人の少年にできるようなことではありません。ディンク氏の暗殺は、政治的殺人です。」と述べた。パエック氏は、トルコはアルメニアやクルドの問題をテロ対策法では解決できないと明らかにした。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:4422 )