フラント・ディンクの葬儀いとなまれる
2007年01月24日付 Yeni Safak 紙
■彼は祖国を愛し、祖国は彼を愛した
「我々の視線はこの祖国の土地に注がれている。しかしそれは分離のためではなく、その一番奥へと埋められるためだ」とフラント・ディンク氏は言っていたものだった。
昨日、ラケル・ディンク夫人が語ったように「愛するものから離れるという犠牲を払っても祖国から離れなかった」フラント・ディンク氏は、大きな愛に包まれて死ぬまで愛した地に葬送された。
フラント・ディンク氏が凶弾に倒れて5日目、故人を悼む大勢の人々によって氏の亡骸は埋葬された。ディンク氏の最初の葬儀は、氏が総発行管理者を務めたオスマンベイのハラスカルガジィ通りセバトアパートにあるアゴス新聞社の前で執り行われた。葬儀に訪れた数万人の人々は「我々はみなフラント・ディンク、我々はみなアルメニア人」「殺人犯は301条だ」とアルメニア語、クルド語、トルコ語で書かれたプラカードを手にしていた。トルコに数千、数万、数百万のフラント・ディンクが存在しており、逝ってしまったのはたった一人だ、とのアナウンスが流れ、「ディンク氏の理想、彼の国、彼が懐かしんだ世界とともにトルコの為に2分間の黙祷を」と呼びかけた。黙祷の後、悼辞を述べるためフラント・ディンク氏の妻ラケル・ディンク夫人は、娘のセラさんとデラルさん、息子のアララトさんと妻のカロリン夫人とともにバスの上に用意された演壇に上がった。気丈に立つラケル・ディンク夫人は、悼辞で平和と友好のメッセージを述べた。ディンク氏の亡骸はアゴス新聞社での式の後、葬列をともなってエルマダーに移された。その後、遺体を載せた車は葬列から離れ、鐘の音と拍手に迎えられて13:00に聖マリア教会に到着した。
■ムタフヤン総主教が導く
聖マリア・アルメニア教会での葬儀は、トルコ・アルメニア教会のメスロブ・ムタフヤン総主教が取り仕切った。ムタフヤン総主教は、ディンク氏殺害の容疑者が短期間で逮捕されたことは喜ばしいが、事件が終わったわけではないと述べた。
ムタフヤン総主教は「アルメニア人が数千年にわたりこの地で暮らしてきたトルコ共和国の同胞であることと、我々がよそ者でも仮想敵でもないことをトルコ共和国とトルコ人は受け入れるであろうとの我々の信念は変わっていない。また、我々が敵対者と見なされる原因である扱いや態度、思考方法を変えていくため、教科書や学校といった教育の場から取り組んでいることや、社会におけるアルメニア人敵視の駆逐へ向けた我々の努力が実を結ぶであろうとの考えも持ち続けている」と語った。また、「フラント氏はなによりもまずトルコ人とアルメニア人の対話の発展に尽力した。重要な貢献だった。
いかなる神の思し召しか、彼の葬儀が公職にあるトルコ人とアルメニア人が集う機会となった」と述べた。ディンク氏の亡骸はここでの式の後、再び葬列とともにシリヴリカプ通りにあるバルックル・アルメニア墓地に移され、この地に埋葬された。
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( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:4437 )