刑務所も満杯
2008年02月04日付 Milliyet 紙

7万人だった未決囚・既決囚の数は、この一年で9万3千人にまで膨れ上がり、収容室では地べたに布団を敷く時代が始まった。

もっとも大きな7-8㎡の収容室では、2段ベッドと机のほかにあいたスペースに布団を広げている。机の上さえも夜はベッドとして使用されている。気候が寒いために庭に出られない収容者たちは、1日中ほとんどくっつきあうような状態だ。

この1年で刑務所に約2万人が入所したことで、刑務所管理はなす術をうしなった。2007年の初めには7万人だった収容者の数は、いまや9万3千人である。この1ヶ月だけで刑務所に入った収容者の数は3千人である。ちなみに今日まで最も高い数字は、1980年の軍事クーデターの後の1981年の79786人であった。

刑務所では、2007年2月28日から2433人の子供、1890人の女性、43642人の男性が未決囚として、90人の子供、858人の女性、28512人の男性が既決囚として服役している。

■ 収容能力が十分ではない

過去にはしばしばけんかや脱獄、殺人、衝突などで知られ、最近では平穏であるバイラムパシャ刑務所も、最も混雑した刑務所のひとつである。2624人収容のバイラムパシャ刑務所では、シリブリで新築中の建物に引っ越すため準備しており、2007年年初で5203人の収容者がいる。この数字は現在5750人になった。新しい棟の建設が現在続いているメトリス刑務所はというと、ほぼ収容人数の3倍の囚人が収容されている。大都市の刑務所の全てが似たような状況である。

法務省は、共和国始まって以来最も囚人が多い時期を迎えた刑務所に警告を発した。同省は、新しく建設されている刑務所を開所するために建設を急ピッチで行わせる一方、刑務所の管理に対しても事件が起こらないように多くの対策を採らせている。

■ 1981年の記録が塗り替えられた

今日まで43度の恩赦が出された。1970年には5-6万人だった囚人の数は、1980年のクーデターで70,172人、1982年に78,202人、1983年には76,258人にまで減少した。1985年に71,230人だった囚人の数は、19886年に52,150人まで落ちた。この数字は1991年には、26,851人だった。1998年に60,391人の囚人数は、1年後つまり1999年に67,581人に増えた。2000年12月22日に条件付き釈放法が施行された。2000年に49,512人が収容された。2001年55,609人、2002年59,187人、2003年64,296人、2004年に57,930人、2005年には55,870人だった囚人数は、2006年、2007年に77,425人までに膨れ上がった。今日この数字は93,000人にまで達した。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:13060 )