ゲイツ国防長官帰国、北イラク越境攻撃も終了
2008年03月01日付 Radikal 紙

ゲイツ国防長官の「短期間での終了を」という言葉に対し、ビュユクアヌト参謀総長は「短期間とは、1日かもしれないし、一年かもしれない」と述べていた。しかし、軍事作戦は昨日終わった。ビュユクアヌト参謀総長:「ゲイツ国防長官の訪問時には、撤退は既に始まっていた。」

トルコ国軍(TSK)の北イラクに対する「突然の」地上軍事作戦は、その終了も「突然の」ものとなった。木曜日にアンカラを訪問し、「一刻も早い撤退を」と強く要望したアメリカ国防総省長官ロバート・ゲイツに、大統領官邸と首相官邸、国防省、そして参謀本部も「目的を達成したら撤退する」と答えていた。しかしゲイツ国防長官が去ってから24時間も経たないうちにトルコ軍は撤退し、関係者を混乱させた。

軍事作戦が昨日終了する一方で、昨夜放送される予定で、水曜日に収録された(レジェプ・)タイイプ・エルドアン首相が国民に語りかけた演説では、首相が「作戦は継続する」と述べていることが明らかになった。これは、首相さえも作戦終了を間際になってから知ったというように解釈された。

■ 4回言えば成った

アメリカ国防総省のゲイツ長官は、2月27日のトルコ訪問前に、インドで「トルコは短期間で撤退するべきだ」と述べた。ゲイツ長官は、2月28日にギョニュル国防相の傍らで、メディアの前でもこの見解を繰り返し述べた。ギョニュル国防相は、「トルコ兵は、必要な限り留まる」と述べた。

ゲイツ国防長官は、その後ヤシャル・ビュユクアヌト参謀総長を訪問した。ビュユクアヌト参謀総長は、ゲイツ長官との会見のすぐ後、スペインの参謀総長との会談の際、記者らの「ゲイツ長官のいう短期間とはどのくらいのものか」という質問に答えた。ビュユクアヌト参謀総長は、「短期間とは相対的な観念だ。これは、或るときは1日、或るときは1年たりえる。トルコは24年間テロと闘っている。アメリカも何年間もアフガニスタンでテロと闘っている。私はこの状況を彼にも説明し、彼は理解を示してくれた」と語った。

ギョニュル国防相とビュユクアヌト参謀総長の意見は、ゲイツ長官に首相と大統領から伝えられた。これが、トルコとアメリカ双方のメディアで「トルコはアメリカ(の説得)にも拘らず、イラクで作戦継続」と解釈される原因となった。ゲイツ長官は帰途の飛行機で記者らの「トルコはメッセージを受け取りましたか」という質問に、「受け取った。4回言ったからね」とエスプリで返答した。

ゲイツ長官の説明に反して、トルコは作戦の続行という空気を覗かせ、これがアメリカ政府に不安を抱かせた。アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは同日(時差のため2月28日夕方)、行動を起こし、「短期間で撤退する必要がある」と述べた。

■ 国民に「語られなかったこと」

昨日朝方の撤退の開始は、首相にも突然のことであった。水曜日に収録され、昨夜(軍事作戦終了の15時間後)放送される予定の演説では、「作戦は、断固として続いている」という表現があった。

参謀本部が公式表明を行う前、11時に国民向けの表明文がアナトリア通信社と首相官邸詰めの記者らに送られた。アナトリア通信社は文書を13時17分に配信報道した。13時40分に参謀本部作戦本部長と首相の軍事顧問ヌスレト・タシュデレル中将がエルドアン首相と面会した。面会後、首相官邸に詰めていた記者らに「国民向け表明取りやめ」と伝えた。アナトリア通信社が報道したニュースを撤回してから暫く後、参謀本部は軍事作戦が終わったことを明らかにした:「作戦が当初の目的に達したと判断された;部隊は探索を実施しながら、2008年2月29日朝を以って国内の基地に戻った。」

エルドアン首相は、昨夜再びカメラの前に立ち、演説を「作戦の開始・終了日程は、軍事的理由と必要性によって参謀本部が定めたものである。作戦は、開始時に見込まれていた形で完了した」と変更した。

エルドアン首相は夕方、欧州連合諸国の大使らとの夕食会でも、「勿論このことに対して、多くの推測がなされ得ますが、これらは、わが国の参謀本部が計画した通りになりました、進軍もそうだし、目的も、撤退もそうです」と語った。

また首相は、「EUに支援いただき感謝します。アメリカとも、この事について全く問題は起きていません」と語ったことが分かった。

■ ビュユクアヌト参謀総長:偶然だ

その日のうちにドアン通信社(DHA)に特別の表明を行ったビュユクアヌト参謀総長は、「撤退命令は完全に軍事的理由により、目的を達成したことから下された。どのような機関からも影響は受けていないし、その示唆によるものでもない。特にアメリカ国防総省ゲイツ長官の訪問と同時になったことは、まったくの偶然である。なぜならこの決定はもっと以前より下されていた。アメリカ国防総省がトルコに足を踏み入れたとき、撤退はすでに一部実行されていたのだ」と述べた。

作戦の完了後、参謀本部は声明で「どのような理由によるものであろうと、テロ組織に加わった者が国家の庇護と正義の傘の元に入ること」が望まれた。

フィナンシャル・タイムズ紙は、トルコ国軍(TSK)が撤退した時間に発行された報道で「トルコがイラクを占領している」と書いていた。

■ ホワイトハウスから第一報

TSKの越境軍事作戦の完了後、ある声明がホワイトハウスから届いた。「目的のある、比較的短期間の作戦だった」と述べたゴードン・ジョンドロー報道官は、アメリカ、トルコ、そしてイラクがクルド労働者党(PKK)を闘争すべきテロ組織として認識し続けることを強調した。「私は次のことを期している、もし将来においてPKKがテロリズムを放棄しなければ、我々はトルコとイラクの人々と共に努め、組織を追い続けるだろう」と述べた。

■ アメリカの統制下でのイラクでの8日間

トルコは、作戦の終了を、イラクのズィバーリー外相から知った。ズィバーリー外相は、イラク北部の全トルコ軍が撤退したことを明らかにした最初の人物となった。同外相は、「これに満足している」と述べた。

2月21日:国家安全保障評議会(MGK)が招集され、軍事作戦が始まる。越境の際、ペシュメルガ(クルド側兵士)との3時間に及ぶ危機が生じた。エルドアン首相は、イラクのマリキ首相とアメリカのブッシュ大統領に電話で連絡した。ギュル大統領も、イラクのタラバーニー大統領をアンカラに招待した。相手方に「目的を達成したら直ちに撤退する」という保証が与えられた。

2月22日:参謀本部は、地上軍事作戦が始まったことを伝えた。イラクはトルコに通牒を送った。イラク政府は通牒で、トルコに理解を示していること、しかし作戦の一刻も早い完了を望むことを伝えた。アメリカとEUもこれと同様の態度を示した。アリ・ババジャン外相は、イギリスのミリバンド外相と会見した。兵士5人が殉職し、44人のPKK戦闘員が無力化された。

2月23日:イラク北部にあるクルド人自治区のバルザーニ地域政府議長は、TSKが自治区内の勢力に干渉した場合「総防衛」するよう指示し、トルコとPKKのどちら側にもつかないと述べた。2人の兵士が殉職し、35人のPKK戦闘員が無力化された。コブラ機が落ちた。

2月24日:アメリカ国防省のゲイツ長官は、オーストラリアで、軍事作戦だけでは問題を解決できないと述べ、アンカラに政治的、経済的対策を出すよう呼びかけた。ロシア外務省のカミニン報道官は、当該地域がより一層不安定な状態に陥り得ると警告した。少佐1名、兵士8名、村落防衛隊員3名が殉職し、33人のPKK戦闘員が無力化された。参謀本部は、ヘリコプターが破壊を被ったと明らかにした。

2月25日:イラク国家保安顧問のムワッファク・ルバーイーは 、軍事作戦が長く続くことは、トルコ兵士とペシュメルガ間の衝突の引き金になると警告した。ホワイトハウスのダナ・ペリノ報道官は、作戦が短期間であること、PKKがこれ以上イラクに存在しないことが必要だとの声明を行った。2人の兵士が殉職し、41人のPKK戦闘員が無力化された。

2月26日:イラクは、主権を侵したとしてトルコを批難した。アメリカ国務補佐官バーンズは、イラク系クルド人リーダーが当該地域に拠点を置くPKKに対して責任を負うべきであると述べた。2人の兵士が殉職した。

2月27日:アメリカ国防総省長官ゲイツは、インドでトルコ軍が1、2週間でイラクから撤退することが重要であり、軍事作戦は十分な効果を上げないだろうと述べた。MGKが作戦期間は2週間であると定めたことが明らかになった。首相官邸の首席外交顧問ダヴトオールを団長とする使節団がバグダッドでズィバーリー外相と会見した。5名の兵士が殉職し、77人のPKKが殺害された。

2月28日:アメリカ国防総省長官ゲイツがアンカラで、アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュもアメリカから報道を通して、TSKに「速やかにイラクから撤退しなさい」と声明を発表した。
10人のテロリストが無力化された。

2月29日:TSKは、北イラクにいる軍隊を撤退させた。

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( 翻訳者:林 奈緒子 )
( 記事ID:13262 )