イラク越境攻撃の成果、次第に明らかに―PKKのザプ基地で2トンの爆弾押収
2008年03月02日付 Zaman 紙
イラク北部で行われた地上作戦の詳細が明らかになり始めた。兵士は、クルド労働者党(PKK)のカンディルに次ぐ最大の基地であるザプで2トンのC4、A4爆弾を押収した。洞窟で発見された食料はテロ組織の何か月分もの量だった。
トルコ国軍が地上作戦を終わらせる議論を始めた一方、作戦の詳細は、今後起こりうる深刻な事件が妨げられたことを示している。入手した情報によると、テロリスト自身とともに、PKKの兵站を破壊することを計画したトルコ兵士が、ザプキャンプで大規模な弾薬庫を発見した。岩場の下に設けられた弾薬庫で、約2トンのC4、A4爆弾、何百ものRPGロケット、何百万もの弾薬が押収された。
ザプ川の畔の、それぞれに少なくとも100人が隠れることができる洞窟では、テロ組織の何ヶ月分もの食料が見つかった。爆弾と食料を破棄した特別部隊は、兵士たちが爆発によって被害を受けないようにするため直径1キロメートルの安全地帯を作った。その後カンディルに続く最も大きいキャンプは破壊された。
兵士の8日続いた越境作戦では、ハクルクからカニマシに至る地域にある諸キャンプの本拠地にあたるザプを狙った。装甲車がハブル、チュクルジャ、ウルデレからイラクに入る一方、テロリストが所在する地点にヘリコプターで特別部隊が降ろされた。PKKのメンバーとの最初の激しい接触はメズィ地域で起こった。激しい衝突の後テロリストたちは後退し、ザプ谷の深みに隠れた。これに対しザプとカンディルの間のチェンチョ地域に航空部隊によってコマンド部隊が降ろされた。2つの経路から進んだ兵士は、対空兵器もあるザプ谷のPKKの陣地を戦闘機の援護によって突破した。テロリストはここで最も多くの損害を出した。ほぼ敵施設を徹底破壊した兵士たちは、作戦行動の4日目にザプを支配下においた。
帰還の際にチュクルジャで撮影された兵士たちは、援護戦力としてメズィ地域で待機させられた。参謀本部がメディアに配布した写真もこの地域で撮られた。整然と新たな隊と交替した兵士は、2人ずつのテントと寝袋で夜を過ごした。兵士たちは砲撃とブービートラップなどに対し慎重に行動し、敵の探索に大いに注意を向けた。ザプに入った特別部隊は、テロリストたちの全ての必要を満たす物資を押収した。約2トンのC4、A4爆弾、何百ものRPGロケット、何百万もの弾薬が破壊された。袋いっぱいのチャイ、砂糖、小麦粉、干しいんげん豆、ブルグル(小麦の挽き割り)、ジャガイモとともに何缶ものジャムと油が破棄された。
■ 困難を被った地点で飛行機が援護
PKKに向けた8日間の地上作戦に村落防衛隊も参加した。シュルナク・ソウト隊で勤務するある防衛隊員は、見聞したことを本紙に説明し、悪天候で苦労したと述べた。防衛隊員は過度の寒さのため凍死の危険があったこと明らかにし、次のように続けた。
「イラクの領土に入ったとき1.5メートルの雪との戦いが始まった。3日分の食料を携帯していた。夜はだいたい歩き、日中は探索しながら敵の支配拠点である丘にまっすぐ向かった。時々経路にある地雷の罠に遭遇した。罠は前進を妨げ、また奇襲についての懸念も増した。
テロリストたちは支配拠点の丘から重火器で攻撃し、コブラヘリコプターを破壊した。夜はとても寒かった。顔と耳のような空気にさらされている場所はかさばり始めた。3日目に天気はひどく荒れた。4日目に大規模な奇襲を受けた。テロリストの支配地点には対空火器部隊、PKS機関銃とドラグノフの狙撃兵がいた。ここで最も困難に直面した。動ける状況ではなかった。すぐに無線で航空調整官に情報が伝えられた。すぐ後にF-16とコブラヘリコプターが戦闘地に来て丘を爆撃した。このおかげで対空火器が沈黙させられた。私たちの隊も丘の周囲を包囲し、逃げようとする者たちを無力化した。ザプ地域の周辺で最も多くの洞窟、シェルターなどの場所を発見し、破壊した。」
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:13270 )