乗り越えるべき光景 -エルズルムで独立90周年式典のプログラム内容が問題に
2008年03月04日付 Hurriyet 紙

「アルメニア人」と呼ばれている数人の男達が、お茶の入ったウィスキーやビール瓶からプラスティックのコップで酒を飲み酔っぱらい、まずモスクを燃やした。そしてアザーンを詠むイマームを吊した。

その後には刃の欠けた剣と銃剣でもって、産着にくるまれた赤ん坊や、パン種をのばす女性たちを殺害する。寒さと恐怖で身ぶるいをする生徒達は、悲鳴をあげながら見つめている。これは「アシュカレでの敵軍の占領からの解放を記念する式典」である。

エルズルムのアシュカレ郡占領から解放された90周年式典では、好ましくない光景が繰り広げられた。ゼイト・シェネル郡長官が委員長をつとめる委員会が準備した独立記念式典のプログラムの大半を自治体が実施した。アルメニア人ゲリラを自治体の労働者が演じた。寒さの中で震える学生達や子供達が怖がりながら見た式典では、酔っぱらったアルメニア人たちが刃先の欠けた剣や銃剣で虐殺を演じたが、快く受け入れられなかった。

■叫び声とともに

式典会場の中央に置かれた机で、紅茶を入れたウィスキー瓶やビール瓶からプラスティックのコップに注いで飲むアルメニア人役は、司令官から招集されると、トルコ人に対する虐殺行動を始めた。ゲリラは演技の中でモスクを燃やし、イマーム役で頭にターバンを巻いたムラト・ビッルル(アシュカレ郡で床屋を営んでいる)がアザーンを詠んでいるときに捕まえた。イマームは、アルメニア人たちによって広場に設置された絞首台でつるされた。その後、アルメニア人はある家族に向けて攻撃し、パン種をのばしていた女性とその義父を銃剣で殺害した。

小学校の生徒達が近くで驚きとともに見ていたこのシーンの最中に、産着に包まれゆりかごで眠っていた人形の赤ん坊が刺殺された。生徒たちが泣き叫びながら見た出し物は、その後、トルコ軍を演じるアシュカレ高校の学生達が登場し、アルメニア人ゲリラを殺害して終わった。解放の様子が再現された後、国歌が流され、旗竿に国旗が掲揚された。

■5千人の犠牲者
独立式典で演説をしたアシュカレ市長で公正発展党のアフメト・ヤプトゥルムシュは、アルメニア人たちはアシュカレ郡だけでも5千人を殺害したことを想起させ、次のように述べた。
「この非人道的な残忍な行為では、焦げた臭いが20キロメートル先の村でも感じられたのです。妊娠した女性のおな かにいる赤ん坊が引き出され、母親の目の前で殺されたのです。若い世代に演劇の中で見てもらうために、虐殺シーンを毎年繰り返しています。人類の歴史上、もっとも恥ずべき残忍な行為が行われた我々の時代において、解放の日々の重要性はよりよく理解される必要があり、そしてもっと知られる必要があります。ナショナリスティックでかつ精神的な興奮が保持されること、そしてかつての日々を再び回顧することは、名誉ある未来に向け、我々の進むべき道に明かりをともすでしょう。
今日、アルメニア解放秘密軍(ASALA)を受け継ぐアルメニア・テロ組織、PKKを根絶させるための政策により、首相や我々の大切な存在となったトルコ国軍に対し、犠牲者の子孫を代表して、感謝の意を表します」

■教育と文化的水準と関連している

ヤヴス・アスラン (アタテュルク大学文理・歴史学部、歴史学科、教員)
このような式典は、むしろ教育や文化程度に関係しています。記念日や記念式典に新たに目を通す必要があります。記念日は国民の記念日でなければなりません。国民はその興奮を体験し、その中で実感すべきです。形式的に行われる記念日からは国民は何も感じません。私でさえ、ひとりの歴史家として、記念日を楽しめないでいます。記念日は、国際議定書を前進させたり、是認させたりするために行われるものではありません。共和国の記念日を、国民自身が自分のものと感じられるような記念日に変えていく必要があります。

■問題はないと判断したが、実際に見たら気に入らなかった

ゼイト・シェネル氏 (アシュカレ郡長官)
委員長は私でした。しかし式典は自治体のおぜん立てで実施されました。
10月19日に委員長に着任しました。委員会では、毎年行われる式典の流れがあると説明をうけました。繰り返すことに問題があるとは考えませんでした。しかし式典を見て、アルメニア人のゲリラ役が演じた演技を気に入りませんでした。ひとりの手に銃剣、別の人の手には武器、乱射して人々を殺害するのです。好ましくない状況です。来年はエルズルムで、アルメニア人抜きで同じ記念式典を行います。

■ディンクを殺害したのはこの思想だ

アラヌル・オザルプ (心理学者)
子どもたちが焼かれ、人々の目がくり抜かれ、女性たちが暴行されるような舞台は決して上演されるべきではありません。これは子どもや青年の心理を滅茶苦茶にします。
若者が関わる山ほどのひどい事件を我々は体験しています。フラント・ディンク、サントロ神父の殺害で、若者たちがとても悪いかたちで利用されていることを私たちは目の当たりにしました。
なぜ殺したのかを尋ねると、「トルコ人を敵視している。行って殺してこいと言われて、行って殺害しました」と言ったのです。この種の事件の悲しみと、トルコ人に対する「野蛮なトルコ人」という表現を消し去りたいと願っているときに、こういった事件を起こさせてはならないのです。

■暴力をふるうか、またはうつ病に陥る

セルダル・アルプアルスラン (児童・青年精神科医)
ホラー映画、またはテレビで、これに似たシーンを見た時、子どもたちは夜を怖がるようになる可能性があります。怖いため、ひとりで外出できなくなり、母親を過度に頼るようになります。子どもたちはしばしば学校にも行けなくなり、不安感が増大します。葬儀にも連れて行かないほうがいいのです。この種のことでは、子どもは完全に理解するまでに発達していないため、自分に対してされるように感じるのです。
友人関係が悪くなる可能性があります。家から出なくなり、ひとりでいられなくなります。うつ病も始まる可能性があります。一部は恐怖で過ぎていきますが、入り込みやすい子どもには暴力をふるう原因にもなりえます。友人や家族に暴力を振るおうとする可能性があります。

■ふさわしくない、歴史はこんなふうに語られてはならない

広域市役所の元市長、民族主義者行動党のマフムト・ウイクスズ氏は、エルズルムで3月12日に行われる独立式典では、2000年以降、アルメニア人ゲリラを登場させていないと述べ、次のように語った。
「1999年に私は当選しました。2000年に、アルメニア人ゲリラの出し物を廃止しました。演劇でこの問題を扱ってはなりません。次世代にこのようなかたちで歴史を伝えることは不可能です。文明の創始者であり、ヨーロッパや世界を支える人たちの子どもたちにこのような式典を行うことは相応しくありません。見た目もよくありません。独立式典ではこれに代わり、民族舞踊を行って、詩が読まれるべきです。異なる活動が行われるべきです。人々の前に立ちはだかり、血を流し、焼き払って破壊する時代はもはや過ぎ去ったのです」

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( 翻訳者:白石百合子 )
( 記事ID:13285 )