必修の宗教科目の実施は継続されるべき、宗務庁長官が発言
2008年03月06日付 Zaman 紙
アリ・バルダクオール宗務庁長官は「宗教文化と道徳」の科目が必修科目として教えられることが必要だと述べた。
バルダクオール長官は正反対の決定を下した行政裁判所をも批判した。「この決定は欧州人権委員会が下した間違った決定の影響のように思われる」。
バルダクオール長官は、子供たちが宗教について何も知らないことも多くの間違いをもたらすことになると指摘し、ある宗教について知識を与えることが、その宗教教育を行っているという意味にはならないことを強調した。バルダクオール長官は、司法当局が宗教・神学部に見解を求めなかったことをも批判し、次のように続けた。「イスラムの持つ道徳的原則や信仰の根本的部分は、宗教の教義とはみなされえない。「宗教文化と道徳」科目、すなわち宗教知識は宗教文化および道徳の科目とすべきだ。実行するにあたり、いくつかの間違いがあろうとも、それらは直しうる。3~5箇所ほどの誤りがあるといって、宗教文化と道徳科目を必須課目にすることに異義を唱えることは、3~5人の患者に間違った治療がなされたからと言って、その病院を閉鎖することに似ている。」
バルダルオール長官は、2008年の巡礼に関する情報を知らせるために記者会議を開き、記者たちの問いに答えた。行政裁判所の決定に関する質問に対し、「行政裁判所は欧州人権委員会の誤りを、より深刻な形で積み重ね続けている」と述べた。行政裁判所が決定を下すとき、宗務庁もしくは23ある神学部のいかなる関係者にも見解を求めなかったと述べた。
行政裁判所の決定における最大の誤りは、イスラム教の一般的な知識を、特定の宗派や特定の考え方の見解であるかのような意味づけを行っていることだと述べた。宗教文化は道徳と文化の科目であると述べたバルダルオール長官は、「これは人々を信心深くするものではなく、人々に宗教についての知識を与えるための授業である。子供たちが宗教に関して無知であることは、かなり深刻な脅威をもたらすことになる」と話した。いかなる人も宗教に関して正しい知識を得たがっていること、「知識を得る」と言っても人々がすぐに信心深くなることが論じられているわけではないと強調した。バルダルオール長官は、「宗教文化と道徳」科目を宗教教育科目としないことが必要だという見解を述べ、子供たちが宗教教育に以前とは異なった方法で向き合えるようにする必要があると述べた。バルダルオール長官は、「大人たち自身の要求に、そして子供たちの親の要望に沿った形で、子供たちに政府の監督のもと宗教教育を行うことは我々皆の義務である」と述べた。アレヴィー派がイマーム・ハティプ高校のカリキュラムに含まれることになる問題について言及されると、バルダコル長官は、アレヴィー派はイスラムの真の豊かさであり、イスラムとは別の宗教または信仰とみなしてはいけないと述べた。「アレヴィー派をイスラムとは別だとするあらゆる努力は、イスラムを知らないことであり、アレヴィー派への侮辱である」と述べたバルダルオール長官は、宗教関係者に対しアレヴィー派についての教育が続けられているとも述べた。バルダルオール長官は、アレヴィーの古典の出版を続けていると述べ、このことで宗教関係者とアレヴィーが正しい知識に到達することが目的であることにも触れた。
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( 翻訳者:百合野 愛 )
( 記事ID:13300 )