Sahin Alpay コラム:AKP解党訴訟、本質は新旧名士層の権力争い
2008年03月18日付 Zaman 紙
3月14日金曜日、私はキプロスにいた。ドウアクデニズ(東地中海)大学キプロス政治研究センターの開いたパネルディスカッションに出席した。
何本か電話が入ったのは、会合がちょうど終わったときだった:主席検事が公正発展党(AKP)の解党を請求した... ちょうど「トルコにおける自由主義的民主主義への移行」というテーマでの私の話に関連して入ってきたニュースは、もちろん冷たいシャワーを浴びたときのような効果を私にもたらした(=私の目を覚まさせた)。まるで(参謀本部による2007年)4月27日のe-けん制のように... 楽観的な見方を保っていうなら、これらは移行に伴う痛みである。
主席検事が「世俗主義に反する活動の源泉となった」という主張によって、AKP解党のために憲法裁判所で裁判を起こすことは、民主主義や安定、そしてトルコの国際的な信望を損なわせる一種のクーデターである。訴えには正しいとか、世間に通用するとか、真剣に受け止められるような側面はない。非難された全ての通告や行動は、表現の自由の範ちゅうに入る。民衆を、自分自身をコントロールすることのできないものととらえ、自分たちを民衆の後見人とみなす官僚的な勢力がAKPを、トルコをEU規範に近づけ、大学でのイスラーム風スカーフの着用禁止を取りやめ、クルド問題の政治的な解決を追求したために罰したがっていることは明らかだ。憲法裁判所がこの訴訟において自らとトルコの名誉を守る道を選ぶことを祈念している。この訴訟が民主化に賛成する勢力を1つにし、AKPが民主的な憲法に対する取り組みをする必要がなくなり、国会がEU改革に弾みをつけることを願っている。
まず民主市民党(DTP)、次いでAKPの解党請求によって開かれる裁判の政治的意味は何であろうか?これらの訴訟は共和国の建国期において、一党体制の下、その時代に広く受け入れられていた近代の理解に適するものとして発展した世俗主義とアイデンティティの政策を今日のトルコへ無理に適用しようとすることを意味している。この世俗主義政策は国家に対し、社会を(後進性の理由とみなされている)宗教から遠ざけ、宗教信仰を良心によって制限する役目を担わせる。またこのアイデンティティ政策は、社会全体のトルコ語とトルコ文化による包摂を国家に期待する。
時代遅れで社会から見ていかなる時代感覚をも身に着けていないこれらの政策を、大きく変化し、発展し、グローバル化し、少なくとも60年間の民主主義の経験を持ち、EUへの加盟プロセスに入っているトルコに無理に押し付けようとすることは、知恵や理屈ではない、単にイデオロギー的な妄信でしか説明できない。こうした政策は民主主義とも、トルコの一体性とも折り合いがつかない;すでに軍事的独裁主義の下でさえ実行され得ない。
AKPに対して起こされた訴訟は、ある面ではトルコの新旧名士層の間の権力闘争を反映している。1980年代に、経済発展における国家主導での輸入代替戦略から市場主導での開放拡大戦略への移行が根深い社会的、経済的、政治的帰結をもたらした。成長する輸出産業と大学の相次ぐ開設が、アナトリアにおいて文化的には保守的で篤信的な、経済的・政治的にはリベラルな価値観と結びついた新たな企業家や勤労者階層を生じさせる原因となった。新しい名士層は、民主主義の後見人体制がもたらす有利な立場を利用する官僚制度による輸入代替時代の国家の補助金によって肥え太った資本の周辺に形成された旧名士層の政権に挑戦している。
「トルコにおけるイスラーム主義的政治流動化」というタイトルの本でミッリー・ギョルシュ運動のAKPへの転化を最初に分析した人物の1人であるボストン大学のジェニー・ホワイト教授は、「トルコの世俗的エリートによる瓦解した政権」という題の論文の中で次のように述べている:「トルコの旧名士層にとって最も恐ろしいことは、AKPが有権者の大半の利益を代弁する政治的中心に位置することである。民衆の支持を得て、政治的中心に位置し、リベラルな価値観と結びついたAKPというものは、存立秩序が世俗的で西洋化された、しかしリベラルではない(旧)名士層にとって、水面下でイスラーム主義を標榜するAKPに比べてより大きな脅威である... (旧名士層の)存立秩序のAKPの成功に対する答えは、世俗的生活様式が危機にさらされ、国内が諸外国によって仲違いさせられるのではないかという恐れを広めることだった。」(Current History 2007年12月号)
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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13401 )