これがオスマンとヒッタイトの要素を取り入れた学校建築デザイン
2008年03月25日付 Radikal 紙

国民教育省は「個性がなく、箱のような」学校に対し、ヒッタイト、オスマン、セルジュークの影響をうけた41棟のデザインを準備し、学校の運営者に送った。しかしその「結果」は論争を引き起こした。

ハルカルにあるピンクの建物は、一目では学校だとわかるまい。幅広い庇が張り出したイスタンブル証券取引所(İMKB)ヤヴス・スルタン・セリム初等学校の両側には塔のような突起部がある。学校には3つのアーチがかたどられた門を通って入る。廊下の壁にはオスマン・ガーズィー・バヤジット2世の絵が飾ってある。障害のある生徒のためにエレベーターも完備されている。
国民教育省は2005年に「伝統から未来へ 教育建造物建築プロジェクト」で学校の建築を変更することを決定した。
同省は大学の建築科や建築事務所と協力して、幼稚園から職業学校、学生寮にいたるまで41棟の異なるデザインを発案した。ヒッタイト、セルジューク、オスマンの影響を受けた試作には、カフェテリアや、障害者のためにスロープやエレベーターが備え付けられた。国民教育省の担当官が公表した情報によると、現在は学校を作ろうと考える人々にこのデザインが送られているそうだ。敷地、設備やその他の条件が揃っている複数の場所では、ヤヴズ・スルタン・セリム初等学校にそっくりな建物が建てられ始めた。建築家の批判も同様に上がってきている!
しかしまず国民教育省投資・施設部長サリフ・アルトゥナイの言葉を引いてみよう。「私たちが学んだ建物は箱のような暗い建物でした。用いられたデザインは1950年のものでした」と述べたアルトゥナイによると、新しい学校の建物には心がこもっているのだという。「オスマン風、セルジューク風の建物は我々固有の文化を取り入れたデザインです。世界のどこに行ってもそこの建物で国や街を知ることが出来ます。しかし私たちは自分たちの建物でこれを行うことが出来ませんでした。この考え方を新しく変えたいと思いました。この建物は、どこで建てられようとその場所の特性に沿って建てられます。ウルファで建てられる校舎とイスタンブルのものとはデザインが同じであっても、塗装や中の資材は地域によって異なるのです。」

■冷たく魅力に欠ける
国民教育省の担当官が「美しく、国民的文化に属するもの」と紹介する新しい校舎は、建築家たちの厳しい批判にさらされてもいる。建築家会議所イスタンブル支部副部長であり建築歴史学を専門とするギュンハン・ダヌシュマンも批判している一人である。
「政府のあらゆる分野における政策に似ています。オスマン朝的なものに近づけようとする。トルコ建築のアイデンティティの問題はあるかもしれませんが、この問題は創造的なデザインを作り出す我々の建築家が解決します。どうあっても、オスマン朝やセルジューク朝に戻ったり、昔のトルコのモチーフを真似することは必要ありません。これらは人を建築から離れさせる魅力のないデザインです。建物の正面に国旗のモチーフが掲げてある校舎などといった、このようなものを作るのは今日では非常に恥ずかしいことです。ピンクの建物も滑稽です。アンカラ・パラス〔注:1927年に建てられた議員用宿舎〕を想起させようとしています。3つのアーチを備えた入り口がしつらえられていますが、世界にこのようなアーチはありません。2つの塔が建てられ、この塔は4本の円柱の上に据えられています。この塔には役割がありません。ここに学生が登ったり周囲を眺めるために作られたのでしょうか、あるいは火事のために建てられたのでしょうか? ありえないことです。建築の歴史家として述べると、誇りが感じられない建物です。この学校のデザインが学生を奮起させることはありません。」
建築家ベフルズ・チーニージも新しい学校のデザインを、特徴のないコンクリートの箱だと評した。「この石の床で学ぶ学生達のことを考えると残念に思います。有名な言葉があります。『私たちはデザインや建築物を作り出す。その後は建築物が私たちを形成する』。このタイプの建築からは望ましくない人材が育つかもしれません。インスピレーションや創造的な感覚を持たず、思想や認識の価値から遠い人々が育ちます。イスラム法典が支配する場所でさえ現代的な建築が生まれるのに、我々は何をこしらえているのでしょうか。」
ミーマール・スィナン芸術大学建築史学部のエラ・ギュンギョレンは、建築デザインを単調さから脱却させたという意味では成功したが、建築自体は不成功でおもしろみがないと述べた。建築家のハイダル・カラベイ博士は、新しい校舎を批判する一方反省を行った。カラベイ博士は「マルマラ地震の後、市場、コチグループ、そしてその他のグループは教育機関設立を望みました。彼らの頭にはもちろんなによりも先に建築学科が浮かびました。何十種類もの建築デザインが建築学科で生み出されました」と述べた。しかしまた、カラベイ博士は、わざわざそうした展覧会に行って見学するような者はいなかったことを強調している。

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( 翻訳者:白石百合子 )
( 記事ID:13443 )