春とともにやってきた悲しいニュースは続く・・
2008年04月29日付 Radikal 紙

東部と南部では、今年の春は自然の息吹だけでなく、人々の死の知らせをもつれてきた。春めいてきているにも関わらず、殉職の知らせが途切れることはない。この1週間で11人の兵士が殉職した。ビンギョルのゲンチ郡スベレン地区でのクルド労働者党(PKK)との衝突で殉職した2人の兵士が、昨日(28日)コンヤとアマスヤでそれぞれ埋葬された。
衝突で殉死したハサン・シャーヒン氏は除隊まであと15日残すのみだった。彼の遺体は昨日、故郷であるコンヤのチュムラ郡のアパサライジュック村に移送された。農民であるドゥルムッシュ・シャーヒンさんと遺族は、除隊を心待ちにしていた息子の殉死の知らせに気が動転していた。父親であるドゥルムッシュ・シャーヒンさんは、息子の、トルコ国旗に包まれた棺にキスした。母であるアイシェ・アナ・シャーヒンさん、父方の祖母、そして姉たちは、棺にしがみつき涙に暮れた。シャーヒン氏は昼の礼拝の後、埋葬された。
シャーヒン氏とともに殉職した21歳の歩兵であるムスタファ・チュルク氏は、故郷のアマスヤで涙とともに最期の旅へと見送られた。7000人が参加した葬式では、19歳の妹であるドゥイグ・チュルクさんは、兄が着ていた軍服と兄の遺体に「軍式の敬礼」をした。葬式に参列した人たちは、何度も「殉職者たちは死なず、祖国は分割されない」「くたばれPKK」とスローガンを掲げた。

■ 母の挽歌
息子が殉職した日、息子と電話で話したという母ナズィフェ・チュルクさんは、「私に、『僕はとても元気だ。心配しないで』と言いました。その後に殉職の知らせが舞いこんだのです。私の胸は裂けそうです」と話し、挽歌をうたった。チュルク氏は、昼の礼拝に引き続き、埋葬された。

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:13696 )