新著『歴史的地図におけるペルシア湾の記述』がお披露目
2008年04月29日付 Iran 紙

【文化芸術部】新著『歴史的地図におけるペルシア湾の記述』の出版パーティーが日曜日、「ペルシア湾ナショナル・デー」に合わせて開催された。

 著者の一人であるモハンマド・ハサン・ギャンジー氏は、『歴史的地図におけるペルシア湾の記述』の内容について、次のように語る。「この本では、ペルシア湾という名称に対して行われてきたあらゆる種類の異議や議論、プロパガンダ、誤用が淡々と語られている。ペルシア湾という名称が消滅するのは、現在に至るまでペルシア湾について存在してきたもの、語られ、書かれてきたものすべてが消滅するときだからである。もちろん、こんなことは実際にはあり得ないことなのだが」。

 この本の執筆者の一人ジャヴァード・サフィーネジャード氏は、同書にはペルシア湾に関連した地図集が収録されているとした上で、次のように語った。「この地図集には、イスラーム期最初の数世紀に属する地図40枚が収められている。私たちはこの時代に存在したあらゆる資料の中から必要な選択を行ったが、その中でも最も重要な資料として、イスタフリーの『諸道と諸国』〔※〕を利用した。同書にあるカラフルな地図はどれも、実際1つの絵画作品といえる」。

 また、同書の執筆者の一人モハンマド・バーゲル・ヴォスーギー氏も次のように語っている。「〔本書に収められた〕これらの地図はみな、年代順にプトレマイオス式の時代区分にならって〔編集されて〕いる。これらの地図をめくれば、私たちの国の過去の国境は、時代を経る中で北部、東部、及び西部において縮小していったが、ただ1カ所だけが常に安定していたことが分かるだろう。それがペルシア湾である。ペルシア湾は3000年前からイランの南の国境だったのだ」。



訳注:イスタフリーは西暦10世紀に活躍した旅行家・地理学者で、彼がアラビア語で著した『諸道と諸国』(Al-masalik wal-mamalik)は現存する最も初期の地理書。同書で彼は21枚の地図を残しており、そのうち一つは世界地図、残りの20枚は彼が20に分割したイスラーム世界各地の地図である。その中で彼は「ペルシア」がもっとも繁栄した土地であり、その中心は「バビロニア」であると記述している。

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( 翻訳者:阿部文美 )
( 記事ID:13727 )