灰はボスフォラスにまかれる: オペラ歌手レイラ・ゲンジェル死去
2008年05月12日付 Radikal 紙

われわれは、オペラ界の最も偉大なソプラノ歌手のひとりを失った…。

20世紀の最も偉大な歌姫のひとりであったレイラ・ゲンジェルさんは昨日(*9日)、ミラノにある自宅で呼吸困難と心不全のため息を引き取った。

ゲンジェルさんは1928(*1924?)年10月10日イスタンブル生まれ。イスタンブル市立音楽院で声楽を学んだのち、イタリア人ソプラノ歌手のジャンニーナ・アランジ=ロンバルディさんやアポッロ・グランフォルテさんに師事。オペラ歌手としての初舞台は1950年にアンカラの国立オペラ劇場で上演されたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎騎士)」のサントゥッツァ役で、その後1954年にナポリのサンタ・カルラ劇場で上演された「蝶々夫人」において国際舞台にもデビューを果たした。1957年にはプーランクの「カルメル派修道女の会話」で初めてミラノ・スカラ座の舞台を踏んで大成功を収め、オペラ界のトップに躍り出た。

世界のあらゆる有名なオペラ座で「ラ・ディーヴァ・トゥルカ(トルコの歌姫)」として喝采を浴び、輝かしいキャリアを築いたレイラさんは、1980年に舞台を去るまでの間、オペラ界のトップとして活躍しており、34の作曲家の70以上もの作品を演じている。1988年には「国民芸術家」の称号を与えられており、2007年にイタリアで受賞したカルーゾ賞まで、オペラ界の多くの賞に輝いている。 

■ 若手歌手の育成に捧げた晩年

オペラ史に登場する最も偉大な歌姫のひとりに数えられるレイラ・ゲンジェルさんは、晩年にはミラノ・スカラ座でオペラ歌手育成のために創設された音楽院の芸術監督を務め、若手歌手の育成に余生を捧げた。また、イスタンブル芸術基金の理事でもあったゲンジェルさんは、1995年から開催されているレイラ・ゲンジェル国際声楽コンクールによって、新たな才能をオペラ界に輩出し続けている。

ゲンジェルさんの遺言に従い、遺体は明日ミラノ・スカラ座のサンタ・バシラ(*バビラ)教会でとりおこなわれた式典の後に火葬場へ運ばれ荼毘に付される。遺灰は後日イスタンブルに運ばれ、これも彼女の遺言どおりにオルタキョイでの式典でボスフォラス海峡に散骨されることになっている。

イスタンブル文化芸術基金の新しく造られた本部には、歌姫の遺言に従いレイラ・ゲンジェル・ミュージアムがオープンする予定である。

レイラ・ゲンジェルさんの詳しい伝記はこちらwww.leylagencer.org

*記事は5月11日。
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http://www.zaman.com.tr/haber.do?haberno=688565

http://www.nytimes.com/2008/05/13/arts/music/13gencer.html?partner=rssnyt&emc=rss

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( 翻訳者:川原田喜子 )
( 記事ID:13797 )